森と竹林に佇む延喜式内社。
桑原神社の特徴
常総市の延喜式内社で、歴史を感じられる場所です。
豊城入彦命などが御祭神で、神聖な雰囲気があります。
森と竹林に囲まれ、静かで清潔な佇まいが魅力です。
脇宮も盛りだくさんで立派な神社だなと思ったら、延喜式内神社だったのですね。広い道路側から入ったので鳥居が無いなと思ったのですが、神社からすれば裏口から入ってしまったようです。次は鳥居からお詣りいたします。
延喜式内社桑原神社。遷座したからか、活気がなく寂しい感じ。GoogleMapでは、一の鳥居にたどり着きません。手前の道でぐるっと回ると一の鳥居の方にでれます。その為、評価を下げました。御朱印は兼務社の宗任神社さんでいただけます。
旧社格は郷社。延喜式内社。境内には、地区の集会所?みたいな施設あります。普段は無人ですが、下妻市の宗任神社で御朱印頂けます。直ぐに伺い、直書きで御朱印頂きました。¥300由緒書きのコピーも頂きました。
常総にある延喜式内社。創建は8世紀後半の奈良時代みたい。志貴皇子の孫となる桑原王が下総国司時代に、祖神となる豊城入彦命を祀ったのが始まりなんだとか。駐車場はなく、反対側の脇道の畑脇に停めました。
延喜式神名帳に記載される式内小社、御祭神は豊城入彦命・ 天熊人・ 稚彦命 ・大山咋命昔は賑わっていたであろう雰囲気、今は森と竹林に囲まれ清潔で静かな佇まいです。古墳時代から大きな集落があった所で、創建は社伝によると宝亀三(772)三月、当地を開拓した下総国司従四位下桑原王がその祖神を、守護神として祀ったのが起源と伝わります。
式内社、御祭神は豊城入彦命・ 天熊人・ 稚彦命 ・大山咋命昔は賑わっていたであろう雰囲気、今は森と竹林に囲まれ清潔で静かな佇まいです。古墳時代から大きな集落があった所で、創建は社伝によると宝亀三(772)三月、当地を開拓した下総国司従四位下桑原王がその祖神を、守護神として祀ったのが起源と伝わります。
延喜式内の神社です。無人なので少し寂しいかも。御朱印は宗任神社でもらえます。
[延喜式内社]下総國 岡田郡 桑原神社当初は東南に400mほどの本屋敷遺跡に鎮座していたと考えられている。
名前 |
桑原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.4 |
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桑原神社(くわばらじんじゃ)。茨城県常総市国生。式内社(小)、旧郷社。旧岡田郡・豊田郡の総社。主祭神:豊城入彦命、天熊人。資料によると、天智天皇の第7皇子「志貴皇子」の孫、下総国の国司「桑原王」が宝亀3年(772年)3月、鬼怒川西岸の本屋敷と呼ばれた台地に、祖である「豊城入彦命」、「天熊人命」を守護神として祀ったことが起源と伝えられている。本屋敷には、古来から大きな集落があり、高さ10mの前方後円墳「東山塚」があった。現在は、近代の堤防工事で削られ、なくなっている。昌泰年間(898年~901年)には、平良将が当社の鎮座していた字本屋敷に下総国亭を置き、政治の拠点とした。平将門も父親の平良将と共に本屋敷を拠点とし、当社を崇敬した。水害等で住民が字本屋敷から西側へ移動したため、当社も延宝6年(1678年)に現在地に遷座した。正徳2年(1712年)、社号「香取社」として正一位に昇格した。享保4年(1719年)には、寛永2年(1625年)の棟札「日本国関東下総国生桑原大明神造立一宇」が本殿建て替え時に発見され、宝暦8年(1758年)に寺社奉行から延喜式内「桑原神社」と認められた。それ以降、社号「桑原神社」に復称した。とあります。