新居手筒花火、諏訪神社で!
新居諏訪神社の特徴
新居手筒花火で有名な神社、全国的に名を馳せています。
由緒正しい神社であり、氏子総代を務める方々がいます。
国道301号線泉町交差点南西側に位置しており、アクセス良好です。
駐車場がわからず、鳥居前の少し広いところに車を停めさせて頂き参拝した。参道入口の鳥居が立ち、鳥居の左脇に『諏訪神社』の社号標。 数十mの参道を歩くと境内入口の鳥居。木々に囲まれた境内は、落葉も掃き清められた清らかな空間。鳥居の正面に社殿が建ち、境内左手に、いくつかの境内社が並んでいる。 本殿は、拝殿後方に一段高く、石の垣に囲まれて鎮座。社伝によると、景行天皇十九年八月の創祀。新居宿の総氏神として、古来延喜式内社浜名五座の一社、猪鼻湖神社と称え猿田彦神を奉斎していたという。この記録は、たぶん室町初期の『文和風土記』、「景行天皇十九年 所レ祭猿田彦神也」という記述を根拠としているものだろう。 その後、天正十年三月天目山の戦が終ると、山本勘助の重臣井口嘉末なるものが、当地に来住し飯田嘉末と改姓して、信州諏訪大明神を勧請したことから、諏訪神社と称するようになったらしい。 このように、当社は式内社・猪鼻湖神社であったと主張しているようだ。もちろん、異説もある。 また、当社を式内社・角避比古神社の後継社と考える説もある。角避比古神社は、遠江国の大社として、明治四年に国幣中社に列せられたが、その論社の中から特定できず、鎮座地不明のため社格は除かれた。良いお参りができた。
毎年7/27の例大祭での神事である手筒花火で知られる宿場町、漁師町新居の代表的な神社。創建は1900年ほど前といわれ、当初は猪鼻湖神社として猿田彦を祀り浜辺にあったが、天災により1708年にこちらに遷座。ちなみに1590年頃に諏訪大明神を迎えて以来いつしか諏訪神社を称する様になったという。末社も多数。
氏子総代として由緒正しい神社ですので皆様にもっともっと参拝していたたきたいです。
新居手筒花火で有名です。
毎年7月下旬に開催される手筒花火は全国で有名だよ‼️🤩
国道301号線”泉町”交差点の南西側に有ります。
名前 |
新居諏訪神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
053-594-0758 |
住所 |
|
HP |
http://www.shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4413060 |
評価 |
4.1 |
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諏訪神社(すわじんじゃ)。静岡県湖西市新居町新居。式内小社・猪鼻湖神社(イハナノ)及び名神大社・角避比古神社(ツノサクヒコノ)の論社、旧村社。主祭神:建御名方命 八坂刀賣命合祀:天照大神 豊受大神 事代主神 大己貴神 猿田彦神 少彦名神、他。資料によると、社伝によると、景行天皇十九年八月の創祀。新居宿の総氏神として、古来延喜式内社浜名五座の一社、猪鼻湖神社と称え猿田彦神を奉斎していたという。この記録は、たぶん室町初期の『文和風土記』、「景行天皇十九年 所レ祭猿田彦神也」という記述を根拠としているものだろう。その後、天正十年三月天目山の戦が終ると、山本勘助の重臣井口嘉末なるものが、当地に来住し飯田嘉末と改姓して、信州諏訪大明神を勧請したことから、諏訪神社と称するようになったらしい。このように、当社は式内社・猪鼻湖神社であったと主張しているようだ。また、当社を式内社・角避比古神社の後継社と考える説もある。『特選神名牒』には、「角避比古神は津の幸彦の神にして、湖口の開塞を知りて民の幸福を知ります神と云義にて、実は水門の功徳を称へ奉れる御名ならん」とある。角避(つのさく)は、津の幸らしい。浜名湖口の西側にあり、社名としては相応しい。ただし、元の社地、つまり延喜当時の鎮座地は不明。一般には、地震や海嘯のため、海中に没してしまったと考えられている。角避比古神社は、遠江国の大社として、明治四年に国幣中社に列せられたが、その論社の中から特定できず、鎮座地不明のため社格は除かれた。とあります。