豊城入彦命を祀る静寂の社。
佐志能神社の特徴
静かな場所に佇む歴史ある神社で、御祭神は豊城入彦命です。
崇神天皇の皇子にゆかりがあり、東国の統治を受けた場所です。
延喜式内社の一つとして、歴史的な重要性を誇る神社です。
静かな場所です。
2021.5.2に参拝。スダジイ他の巨木に囲まれた里山の神社です。境内から少し離れた場所にも大きなスダジイがあり、根元に小祠もありました。
3世紀後半に実在したとみられる第10代崇神天皇、その皇子であり東国統治の勅命を受け、毛野国を統治した豊城入彦命(とよきいいりひこのみこと)。ここ丸山丘陵の高台にある丸山古墳は、その豊城入彦命の墳墓と伝えられ、4世紀末頃と思われる副葬品が出土した大きな前方後方墳があり、その古墳を祀るように前方部と対峙した形で佐志納神社があります。この古墳脇の柿岡佐志納神社、龍神山腹の染谷佐志納神社を結ぶ直線の先に、常陸国国府があるのは偶然でしょうか?古墳時代前期、ヤマト王朝東国統治の祖神を、後世に赴任して来た国司が、手を合わせたように思えてなりません。
御祭神は豊城入彦命,配祀として彦狹嶋命・日本武尊。御祭神は第10代崇神天皇の皇子であり,四道将軍として東国鎮撫の大任中薨去し,西側に隣接する丸山古墳を奥津城として葬られた。当社はその後,第32代崇峻天皇元(587)年に神告によって創建された。中世においては,白鳥明神とも高友明神とも称されたとのことですが,白鳥は日本武尊からでしょうし,高友は旧地名からでしょう。また,当社は延喜式内(小)社「常陸國新治郡 佐志能神社」の論社で,論社ということは他に候補があるわけで,それが同市内に鎮座する染谷「佐志能神社」・村上「佐志能神社」,そして笠間市の「佐志能神社」ですが,石岡市は現在でこそ新治郡の範疇ですが,延喜式の時代においては茨城郡だったので,有力とはいえないところです。下の集落の狭い路地沿いから一の鳥居から石段を上って狭い道路を挟んで二の鳥居からまた石段を登っていくとすぐに鎮守の杜に囲まれた広い境内へ。境内には江戸時代の様々な年号が記された石碑や石仏が並び,奥には式内論社としてはこじんまりとした拝殿(比較的近年に改築された様子です)がありました。後ろの御本殿は八郷地方らしく覆屋の中で,朱に彩色された御本殿の屋根の一部が間から見えるばかりでした。悠久の歴史をひしひしと感じられる,そのような御神域であります。
[延喜式内社]常陸國 新治郡 佐志能神社。
名前 |
佐志能神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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常陸国総社宮と関連がある佐志能神社。近くを通ったので寄りました。そうしたら、とても急坂で急階段!龍神山の麓ということで。参られる方は気をつけて登ってください。