常陸国新治郡の郡衙跡を探訪!
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石碑と説明板があるだけで畑だらけで何のありません。詳しく見ると建物の礎石があります。興味の方だけにしか進められません。
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名前 |
新治郡衙跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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大化の改新(645)による律令制下における常陸国新治郡の郡衙(役所)跡。昭和16年からの調査によって12ヘクタールの広大な敷地に51棟の建物が確認され、国道50号線を挟んで北方約2~300m先には新治廃寺跡があります。古事記(712)には日本武尊の詠んだ日本初の連歌「新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる」に新治の名があり、常陸国風土記(721)には常陸国の各郡の筆頭に新治郡が紹介され、新治の名は古くから知られていた。しかし郡衙の場所が長い間はっきりしなかったのは、文禄3(1594)年の太閤検地で「新治郡」を、茨城郡・筑波郡・信太郡それぞれ一部からとし、それが古代の新治郡領域と異なってしまったことが混乱に拍車をかけたようで、平成の大合併前の新・新治村(現・土浦市)はともかくとして、かすみがうら市新治(日本武尊の「新治の井」がある。旧・新治村)など、新治の地が多かったせいもあるのでしょう。常陸国への表玄関であった古代の郡衙は、ただただ、広々とした耕作地となり、石碑と案内板がその名残を示すばかり。地名は筑西市(旧・協和町)古郡。「ふるごおり」という地名もまた、ここが郡衙であった名残でありましょう。