豊臣秀吉の母、なかの歴史散策。
御所屋敷趾の特徴
豊臣秀吉の母・なかが住んでいた史跡です。
天保年間の歴史的背景が感じられる場所です。
御器所八幡宮への散策の途中で訪れるのに最適です。
天保年間(1830年~1044年)尾張藩がまとめた『尾張志』に太閤秀吉の母堂は、「この御器所屋敷に住んで秀吉を生み、そこで御器所屋敷というようになった」とあります。
住宅地の中に祠と標石があります。
御器所八幡宮の帰り、バスの時間まで付近を歩いている時に有りました。此の辺りは古い門構えのある大きなお宅が何軒かありました。
秀吉公の母君、大政所が住んでいたそうです。小さな祠があります。
豊臣秀吉の母、なかが住んでいたと言われる場所。付近には佐久間盛政の御器所西城跡(尾陽神社)があります。
豊臣秀吉の母、なかが住んでいたと言われる場所。付近には佐久間盛政の御器所西城跡(尾陽神社)があります。
時代は不明である。持萩中納言の屋敷とされ、秀吉の母なかは持萩中納言の娘で、この地で生まれたと云う。現在は住宅に変わり、遺構は無い。
| 名前 |
御所屋敷趾 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所3丁目22−2 |
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屋敷跡に祠あり以前Google Mapsでこちらを知り、2023年7月下旬、近くの御器所八幡宮、尾陽神社などとセットで行きました。住宅街の中にひっそりあります。一説によると公家の持萩中納言は罪を犯しこちらに流されて屋敷を構え、その娘が秀吉の母とのこと現在は祠がひとつと「伝豊臣秀吉母宅跡」の駒札および御所屋敷跡の石碑があります。