明治の弾薬庫が守る、名古屋城の宝。
乃木倉庫の特徴
煉瓦造りの白亜の建物は明治初期に建造された弾薬庫です。
名古屋城の貴重品を戦時中に保管し、火災から免れました。
乃木大将とは直接関係がないが、由縁の名称です。
名称から乃木大将時代に建造されたと思っていましたけど違ったんですね本丸御殿復元の資料になった襖絵等はここに保管され空襲を免れたそうです貴重な戦争遺跡の一ついつまでも残して欲しいですね。
国の登録有形文化財!2023年3月下旬に行きました。中には入れません。明治初期に建造物で旧陸軍の弾薬庫として利用→太平洋戦争の際、名古屋城の障壁画や天井絵をここに避難させ、大空襲でも焼失を免れる→免れた障壁画等は重要文化財に勉強になりました。
☆国登録有形文化財城郭の御深井丸に似つかわしくない煉瓦造りの白亜の建物、明治初期の1880年頃に陸軍の「弾薬庫」として建造され非常に頑丈で火災にも強い、乃木倉庫あってこその名古屋城「本丸御殿」の復元⁉️☆昭和20年になり国内の空襲激化、3月以降順次、本丸御殿の襖(障壁画)を避難、5月の名古屋大空襲の戦火被災を免れ現存、障壁画1047面が国指定重要文化財に🤔☆倉庫建造などに乃木希典大将は直接関係なし、若かりし乃木希典が陸軍少佐の頃に名古屋鎮台(後の第三師団)に赴任経験あり、後の世に乃木大将由縁で『乃木倉庫』との名称😲
乃木倉庫という名称は乃木希典が名古屋鎮台に赴任していたことに因むみたいやけど直接的な関係はなんもなし!だけどなんで乃木倉庫って呼ぶようになったんやろなーちなみにこの倉庫ー大東亜戦争における昭和20年5月14日の名古屋大空襲の際に名古屋城や本丸御殿にあった絵画や骨董品を避難させ守り抜いた名誉の倉庫でその一点のみを見ても殊勲の倉庫です!そして本来は煉瓦造りのしゃれた倉庫なのですが煉瓦保護のために白く塗られてるんやって。
昭和20年の空襲では、御殿の障壁画などを消失から守った。
趣の違う建物でした。
乃木倉庫という名前ですが乃木将軍とは直接関係ありません。戦時中空襲から本丸御殿の襖絵を非難した場所として知られています。出入口は南京錠がかけられていて中には入れませんでした。
名古屋城に関しての貴重品は戦時中ここに一時保管され戦災を免れたそうです。
明治時代初期に旧陸軍省の弾薬庫として建築されたレンガ造りの倉庫です。
名前 |
乃木倉庫 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-231-1700 |
住所 |
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HP |
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1024.html |
評価 |
4.1 |
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明治初期に陸軍の弾薬庫として建築されたレンガ造りの倉庫。この倉庫に本丸御殿障壁画を避難させて焼失を防ぎました。