名古屋の隠れ庭園、古渡城址の趣。
下茶屋公園の特徴
名古屋の中心に広がる和風庭園で、歴史を感じられます。
江戸時代から続く樹木と池が美しい公園です。
整備された古渡城址の雰囲気が楽しめる隠れたスポットです。
古渡城跡の碑は東別院の境内の西の端に設置されてるが、天守台や堀跡、さらには名古屋城関連の石垣が残るこちらの公園にも城跡碑を設置すべきなのでは?馬《●▲●》助ヒヒーン♪
公園というより庭園2023年8月上旬に行きました。説明板によるとこの公園は、旧東本願寺別院・新御殿の後庭があったところです。真宗大谷派名古屋別院(東別院)所蔵の平面図には「新御殿御庭」という別記があり、天保のころ落成の建築群に伴って作庭されたものと考えられます。この庭の平面形が下茶屋公園によく残されており、江戸時代後期の庭園として貴重なものといえます。また、東別院周辺一帯は、古渡城跡地でもあり、尾張名所図会(幕末)の「東本願寺掛所」によれば、「古渡古城天守墓址」という記入があります。とあり、緑豊かな日本庭園を眺めることができました。また園内には名古屋城築城の際に使われる予定の石(または明治以降に名古屋城から持ち出された)があります。
旧東本願寺別院・新御殿の後庭があったところです。
元古渡城の堀を利用したという東本願寺別院の庭園を使った公園狭いですけど風情ある場所です大名屋敷庭園の面影ある場所で無料で見られるのですから言うことありません。
東別院の東側にある日本庭園風の公園で季節ごとの景色を楽しめます隔離された感じで石橋や石灯籠ががあり外の喧騒を忘れさせてくれます駐車場は近隣のを利用して下さい。
今日は、地元の皆さんと一緒に、下茶屋公園(古渡古城天守臺址)の清掃活動をさせていただきました。この公園は、旧東本願寺別院・新御殿の後庭のあった場所です。この周辺は、古渡城跡地であり、尾張名所図会によれば、ここは古渡城天守臺址になっています。公園の中には、5つの大きな石が並べられています。これは、江戸時代初期、名古屋城築城の時に石垣用石材が古渡城跡に集まられたものだと言われています。その名残として、東別院と下茶屋公園で大名の刻印が刻まれたものが29石見つかっています。更に、公園では、石材と併せて、切支丹灯籠の竿の部分も見ることができます。
名古屋市中区の真宗大谷派名古屋別院(東別院)の東隣にある下茶屋公園は、旧東本願寺別院・新御殿の後庭があった場所で、江戸時代に造られた地泉回遊式庭園である。大通りに面していますが、公園に入ると都会の喧騒を忘れてしまうぐらい静かな場所です。桜や紫陽花、紅葉など季節によって様々な植物も楽しめますし、池を眺めながらのんびり出来ます。また、この公園の東側にあった近代の石垣には、城郭に使われたと思われる石が使われていました。名古屋城築城の際に運ばれた石がこの地に残されたものか、明治時代以降に名古屋城から持ち出されたものであるとされています。歴史や自然の豊かさが感じられる趣のある公園ですから、東別院にお越しの際はこちらにも寄ってみて下さい。
名古屋の中心部にこんな静かな公園があるんだ👏 池の半分が黄色い菖蒲でいっぱいでした。
⭐️趣のある公園、近隣にスタバやメ~テレがあるのに周りの喧騒を忘れさせてくれる空間、中々素敵な雰囲気です✨元は江戸時代後期に作庭された旧東本願寺別院/新御殿の後庭だった場所とか、それが破壊されず200年近く残っているのは貴重ですね❗️⭐️案内板に幕末期に作成された『尾張名所図会』に「古渡古城天守臺址」と記載されていたと、まさか天守台はないでしょうから古渡城址の一角だったんでしょうね、1548年廃城から尾張藩の城下町形成や空襲の戦火を免れて約470年間古渡城址の遺構が残っているとすれば素敵です😄⭐️公園の北東隅に矢穴と刻印の残る石材が6個置かれてます、詳細は不明ですが矢穴と刻印が証明しているのは、名古屋城築城の際の「捨て石」か明治期になり名古屋城から持ち出され何かの構造物に利用され放置された石材では、想像も楽しいです⁉️⭐️何故ここに「下茶屋」の呼称⭐️当時、多くの参拝者で東別院は賑わい、この地に茶屋や遊廓の花街が形成されたそうです、名古屋城近郊、今の丸の内に当時「茶屋」町が存在し、区別するために「下茶屋」と名付けられたそうです、勉強になります🤔
| 名前 |
下茶屋公園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
052-972-2492 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 5:00~22:00 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ちょっと和風庭園的な公園です♪ちょっと散策してみてもいいかもよオススメです♪