秋祭りのささら、古墳の里。
大塚神社の特徴
御祭神・倉稲魂命が祀られ、五穀豊穣を祈る神社です。
中世に築かれた祠や前方後円墳の名残が残っています。
秋祭りにはささらの奉納が行われ、伝統を感じられます。
自転車でよく行きます。小さい頃から、よく行きました。この神社は常磐自動車道・関本PAの南西約1.2km、神社から高速道路が良く見える、水田地帯の中の小高い丘に鎮座しています。今では鬱蒼とした樹木に覆われ、研究者にしかその存在は分からないかと思われますが、この丘は古より大塚と呼ばれた前方後円墳です。由緒書きによると「御祭神:倉稻魂命(五穀豊穣、国家安護の御祭神)永承年間(1046~52)源頼義、北征の折りこの地に駐し、西道口の鎮護としてここに祠を創立し、大塚大権現と称す。文久3年(1863)再建す。現在の社殿これなり。明治になりて大塚神社と改称す。」とあります。ここには市指定無形民族文化財の「富士ヶ丘棒ささら」が伝承され、奉納されてきました。行列の先頭には、つゆ払いの天狗様が立ち、旗や吹き流しの梵天がひるがえる中、笛、太鼓の鳴り物にあわせて、子供たちにより角2本の雄獅子2頭、角1本の牝獅子3頭の獅子舞が演じられます。その獅子舞とともに棒術が演じられることがこのささらの特徴で、名前の由来にもなっています。桜の季節に寄りました。
御由緒によれば、御祭神:倉稻魂命.うかのみたまのみこと(五穀豊穣、国家安護の御祭神)「大塚大権現」を、明治時代に「大塚神社」と改めたそうです。こちらの境内地は、古より大塚と呼ばれた前方後円墳との事でした。拝殿の扁額には「御塚山」と書かれてあり、御塚山や大塚山と呼ばれているのが推測できました。この周辺地域には、漢字は異なりますが読み方が似ている、大塚神社・王塚神社・御塚神社・雄都嘉(おつか)神社などが、ジュウドノ神社と同じくらい多いですね。
神社由来では、前方後円墳の上に中世(十一世紀)、祠が築かれ現存なの社は江戸末期建造。広々とした稲田に囲まれ、巨木に覆われた静謐な社は、長い時の流れを感じさせる。
昔は古墳だった名残があります。
何年かに一度秋祭りの日にささらが奉納される。
日本の原風景いいですね。
名前 |
大塚神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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