岡倉天心の美術と海景。
茨城大学五浦美術文化研究所の特徴
岡倉天心の旧宅跡を活用した貴重な研究機関です。
六角堂や美しい景色が楽しめる特別なスポットです。
設立から68年、文化財の保護に貢献し続けています。
2024.06.20 訪問東京美術学校(現東京藝術大学)を設立、博物館の整備充実、文化財保護行政の確立等に力を尽くした岡倉天心(1863~1913本名:覚三)の「天心遺跡」を見学して来ました。施設見学は有料で、400円でした。施設内は、遊歩道が整備されていて歩きやすく、北側の大五浦と南側の小五浦の海岸線とあわせて、「名勝地」と「遺跡」の双方で登録記念物に認定されている景観を堪能出来ました。さほど広い場所ではないので、ゆっくり見学しても30分かかりませんでした。
岡倉天心の旧宅跡だそうですが、茨城大学の研究所として現在も活かされていることに意義があると感じます。周辺(五浦海岸)や庭園自体もさることながら、岡倉天心その人となりに触れられる六角堂や美術館もたいへんなみどころです。
茨城大学五浦美術文化研究所です茨城大学五浦美術文化研究所は、1955(昭和30)年に設立されました。天心偉績顕彰会の会長横山大観から、天心遺跡(旧天心邸・六角堂・長屋門)の寄贈の申し出を受けてのことでした。1913年の天心の没後、遺族の住まいだったのですが、1942(昭和17)年、天心偉績顕彰会が遺族から管理を引き継いでいたのです。岡倉天心は、1903(明治36)年の5月頃、飛田周山の案内で五浦を訪れ、この地をいたく気に入りました。天心は、二年後には六角堂をかまえ、冬はボストン美術館勤務、夏は五浦の海を前に瞑想に耽り、国際的な活躍の拠点としました。1906(明治39)年11月には、日本美術院を五浦の地に移し、岡倉天心、菱田春草、下村観山、木村武山が家族と共に移り住んで制作に励み、近代美術史に輝かしい一ページを刻みました。また『茶の本』もボストンと五浦の往還のなかで生まれました。長屋門がいい感じです。六角堂は、ここで入園料を払って中に入ると観られます。今回は、常磐3市サイクリングスタンプラリーで訪問しました。11月には毎年観月会ということでお茶会が開かれていました。
明治時代の思想家岡倉天心の邸宅。敷地内には海に面したその名の通り六角形の六角堂がありここで思想にふけったという。東日本大震災による津波で消失した為現在の物は再建されたものになる。敷地内は苔むした岩そして松の木が趣があり、五浦海岸の眺めときてロケーションは良好だ。現在は茨城大学の所有で茨城大学美術文化研究所となっていて入場料が400円ではあるが、特段天心に興味が無くても景勝地としてもまずまずではないかと思う。尚余談だが、昔の写真をあさったら(18年前、その時は営業終了時間で中に入れなかった)六角堂の北側から撮ったものが出てきたので、震災の前は海岸に降りられたのかもしれない。
☆名称がややこしくしています☆場所的には北茨城、“五浦海岸”北側の“大五浦”と南側の“小五浦”のほぼ中ほどですか。この海岸線エリアを茨城県の登録記念物とされています。 さて、この場所は「茨城大学五浦美術……」となっておりますが、それはあくまで所属管理であり、実際的には“岡倉天心先生”の晩年期、こよなく愛された場所であり、そのお住まいを中心にした、素晴らしい景観を誇る“公園”です!正確には「天心遺跡」かと…。“天心遺跡記念公園”とは、まったくの別なのでご注意を。公園内は長屋門で入場券を(400円)求め、天心記念館~ウォーナー像~六角堂~天心邸~亜細亜ハーなり碑~土蔵跡を、散策路に沿ってそれぞれの景色を眺め、“岡倉天心先生”の為人や近代文化への功績を想い、時を過ごす場所かと思います。一つの公園内でありながら、六角堂や天心邸等がMapでは、独り歩きしているため“ややこしくしているのです!”(以前にも投稿して削除され、写真・動画は不明な場所!?とされましたが💦)
六角堂や天心宅などが見学出来ます。入場料は400円。天心さん、素敵な邸宅にお住まいだったんですね。
普段はなかなかこういったところに行く機会もないのですが通りがかった際に時間があったため立ち寄ってみましたあまり大きくないので時間はそんなにかかりません。
中に入ると六角堂が観れるみたいです、お金かかるので…スルーしました😅せこいか…⁉️
ツーリングで立ち寄りました。景色を楽しみながら座って休憩できます。とても綺麗な場所です。
名前 |
茨城大学五浦美術文化研究所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0293-46-0766 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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入館料 400円でした。ここに入らないと 六角堂 は間近で見ることができません。