常泉寺で出会うニャンこ、思い出の散歩。
木下長嘯子宅跡の特徴
木下長嘯子宅跡は歴史的な価値が感じられる場所です。
常泉寺に近く、散策にピッタリなスポットです。
可愛いニャンコとの出会いが楽しめるかもしれません。
おさんぽしてたらニャンこに、にらまれたんだぁ!
常泉寺に行く際に見つけました。
きのしたちょうしゅうし。と読む。戦国時代の武人、歌人で長囃子は歌人としての名前。豊臣秀吉の妻、北の政所の甥っ子で豊臣政権下では豊臣性を賜るなど優遇されるが、関ケ原戦では東軍につきその時の失策で所領を没収される。
名前 |
木下長嘯子宅跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒453-0053 愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷47−47 |
HP | |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

長嘯子(木下勝俊)は、木下家定の長子、北政所(秀吉正室)の甥である。豊臣秀吉のもとで若狭九万石を領したが、関ケ原の戦いでは去就に迷い、所領を失った。こののち、京都東山に幽棲、風月を楽しんだ。歌文に秀れ、著者も多く中でも歌集「挙白集」は名高い。 『木下長嘯子屋敷跡案内板』より。小堀政一や伊達政宗といった大名をはじめとして、林羅山や春日局といった幕府の要職にあった人たちや、藤原惺窩とその息子の冷泉為景(叔父・冷泉為将の養子)、松永貞徳、中院通勝たち文化人らとも交流を持った。弟子には先に挙げた山本春正や岡本宗好、打它公軌といった人たちがいる。また、石川丈山、下河辺長流や山鹿素行にも私淑され、山鹿素行には住居の訪問を受けている。なお、勝俊は吉備大臣入唐絵巻を所有していたことでも知られる。