土井晩翠の家で郷愁を感じる。
晩翠草堂の特徴
土井晩翠が住んでいた住宅は、当時のままの歪みのあるガラスが印象的です。
玄関ベルを鳴らして、係の方が来られてから、中を見学出来ると入口に貼り紙があったので、ベルを鳴らして待っていましたが、係の方は全く来られなかった為、入館を諦めて帰りました。中では係の方と入館者と思える方の大声の笑い声がずっと響いていました。
荒城の月の作詞で有名な土井晩翠が、晩年住まわれていた住宅。当時のままに保存され、室内に入って見学出来、また管理人の方が大変博識でご親切で、興味深いお話を聴かせていだきました。荒城の月を作曲した滝廉太郎とは、生涯で一度しか会わなかったこと。天才同士の、多くを語らずとも叶えられた深い交流。荒城の月、という名曲が誕生するに至った経緯、夫人をはじめ三人の我が子を早くに亡くされ、心霊研究にも傾倒されたことなど、当時のエリートでありながらも、たいへん謙虚なお人柄であったことも伝わりました。滝廉太郎の若すぎる死去を惜しんで詠まれた和歌も展示されており、美しい文字とともに印象的でした。
今の青葉区木町通で生まれた詩人です。「荒城の月」の作詞で有名です。詩集としては「天地有情」が有名ですネ。ここは戦災で焼失した旧居跡に建てらた住居で亡くなるまでの数年間を過ごしました。係の人が丁寧に説明してくれます。荒城の月の作曲者の滝廉太郎とは一面識もなかったそうです😳。入館無料。
土井晩翠氏といえば「荒城の月」の歌詞を作詞した方。彼の終の棲家がこちら晩翠草堂。彼の晩年過ごした寝台などに加えて、彼の作品や業績が掲げられる。常駐するスタッフに質問すると色々と親切に教えてくださる。繁華街も近く、見学も無料。古い日本家屋の佇まいを感じたい方におすすめです。
弾丸旅行のひとコマ。バスの待ち時間に気になって、ふらっと立ち寄ってみました。土井晩翠さんのことは知りませんでしたが、この見学でとても印象深いものとなりました。瓜生さんという方が説明してくださって、詳しく聞くことができました。(瓜生さんには、周辺の観光情報まで聞くことができて親切でありがたかったです。)丁寧なお話で、細かく教えてもらうことができ、勉強になりました!私は年表を見ながら解説してもらえたので良かったのですが、もしかしたら、もう少し年表がわかりやすく(やさしい日本語などで)書いてあれば、誰でも読めるような気がしました。風情ある雰囲気も良く、もっと色々な人に立ち寄ってもらえたらいいと感じました!
ボランティアガイドさんが詳しく説明してくださり、晩翠先生の事を知ることが出来ました。とても、良い体験でした。何度も仙台を訪れていたのに、素通りしてしまっていました。時間かあれば、ちょっとのぞいてみるはいかがでしょうか?
仙台市青葉通りの中にひっそりとたたずむ史跡。
オフィスビルとマンションに囲まれて、ひっそりとしています案内の方がとても丁寧に説明してくださいます荒城の月は、滝廉太郎とのコラボです青葉城か鶴ケ城かはたまた九州竹田の岡城跡か詳しく説明してくださいましたありがとうございました訪問には 観光のバス ループルが便利です。
晩翠先生と言えば個人的には、私の人生の師匠と仰ぐ方が若き日に、その恩師の前で吟い、諸葛亮孔明の熱誠と無念に恩師が感極まり、落涙を禁じ得なかったという『星落秋風五丈原』。三人の聡明な吾子たちが次々と夭逝し、仙台空襲で住まいと数万の蔵書を全て失い、さらには夫人にも先立たれた晩年。孤高というにはあまりにも辛すぎる師の窮状を慮り、弟子や教え子たちが浄財をもって寄贈したのが、終の棲家となったこの草堂。縁側に立ち秋陽の翳りを感じながら、晩翠先生の立像を見ると、心なしか笑みを浮かべておられるようにも見えます。学問と詩心に生涯を捧げられた、杜の都の大文人。これからも足しげく通い、先生との無言の語らいを重ねたいと思います。
名前 |
晩翠草堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-224-3548 |
住所 |
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HP |
http://www.city.sendai.jp/sesakukoho/kurashi/shisetsu/kokyo/bunka/bunka-tenji/1518.html |
評価 |
3.9 |
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当時のままの歪みのあるガラスと縁側こじんまりしていますが、郷愁を感じる素敵な空間。興味のある方には、置かれている資料だけではわからない晩翠や家族のお話を案内人に教えていただけます。交流のあった数々の偉人のお話など大変興味深く拝聴しました。ぜひ質問してみてください。