ひっそり佇む一行寺の美しい墓。
夢野久作の墓の特徴
旧唐津街道沿に位置する一行寺の静かな境内です。
作家夢野久作の墓がひっそりと整備されています。
夢野久作の代表作ドグラ・マグラにゆかりがあります。
案内も少なく、境内にひっそりと立っています。
旧唐津街道沿にある一行寺という寺にあります。博多の中心から来ると、石堂川を渡る橋の手前の右にあるお寺です。お寺を入るとすぐ左側にあるのが夢野久作のお墓です。墓碑の裏には杉山泰道建立と書かれています。夢野久作は本名杉山直樹で出家して泰道を名乗っていました。一行寺の向かいのお寺は閻魔様がいるお寺です。石堂川の橋を渡ると、右側に濡れ衣という言葉の起源となった濡れ衣塚があります。石堂川を渡る橋は、高杉晋作や西郷隆盛が渡ったと言われる橋で、そのような説明が書かれた電柱広告が近くの電柱にいくつも書かれているので、読まれると参考になると思います。この近くには孫文が匿われていた常盤館の碑なども歩いて数分のところにあります。
お花が供えられており、きれいに整備されていました。
作家夢野久作(代表作:九州帝大医学部を主要な舞台とする「 ドグラ・マグラ」)や その父であり玄洋社と深く関わった政財界の怪人杉山茂丸の墓もある。 杉山茂丸は高杉晋作の子、東一の面倒を見た。山縣有朋から杉山茂丸に宛てた手紙、研究者の元大阪府立図書館長坂上氏の現代語訳です。「拝啓 先日高杉東一の身上についてご委嘱をいただき、わたしから倉知に依頼しておいたところ、すこぶる不親切な取扱いをしたとのことについて詳細なお手紙を拝見し、いかにも至情のこもったご詰問に対し、直ぐに概要はご回答を差し上げたところですが、その後河村翰長に依頼して倉知に対し、依頼の順序とわたしが依頼した内容について取り調べさせました。本日河村に面会し、さきに河村が倉知と面会した際の応答など逐一聞き糾し、別紙の通り御覧にいれます。もし疑問の点があれば倉知にお尋ね下さい。なおわたしが外相と倉知に面会して周旋しなかったことについては、わたしの尽力と精神の足りなかったところであり、おゆるし下さい。貴殿が先輩高杉東行の息子東一を数年間訓育下さり、遂に彼が前非を悔いるに至ったことは、実に貴殿に対し感謝しております。また、これまで我々が彼を指導してきたにもかかわらず遂によき結果を得られなかったことは汗顔に堪えません。なお詳しくはお目にかかった際に申上げます。頓首」山縣有朋。
| 名前 |
夢野久作の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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お墓がここにあると知ってないと辿り着けない。