吉良家菩提寺の歴史を感じる。
華蔵寺の特徴
吉良家の菩提寺であり、歴史を感じられる立派なお寺です。
吉良上野介義央のお墓があり、忠臣蔵に因んだ名所でもあります。
のどかな茶畑を抜けて来ると、雰囲気の良い印象を受ける場所です。
意外にわかりにくい場所にありますが、訪れてみると立派はお寺、お寺の方に聞いて初めて知った美しい中庭、なんとなく落ち着く、そんなお寺です。
厳かでした、よくをいえばもう少し整備されていてもよいかなぁ。
吉良家菩提寺、吉良上野介義央の墓があります。
⭐️吉良家史跡巡り😲⭐️高家/吉良家の菩提寺、1600年(慶長5年)創建、三河吉良家6代の墓所があり、境内は厳かな雰囲気、観光地化されていないのが凄く良いです😄門前に広い無料駐車場と少し古い🚻あり😅⭐️興味深い事~吉良上野介から上杉鷹山⭐️・吉良上野介義央-嫡男/吉良三之助(母/米沢藩3代藩主:上杉綱勝の妹/富子)「米沢藩4代藩主/上杉綱憲」に-娘/豊姫(秋月藩黒田家に嫁ぐ)-娘/春姫(高鍋藩秋月家に嫁ぐ)-米沢藩9代藩主江戸時代屈指の名君/上杉治憲(鷹山)へ😲まさか、吉良上野介と上杉鷹山に血の繋がりがあるとは、これも歴史だ‼️
思っている以上に素敵なお寺でした!
吉良上野介のお墓があります。赤穂浪士では悪役ですが、吉良の人々にとっては、温厚でありがたい殿だったようです。お寺に保存してある展示物の数々を見ると、本当に浅野内匠頭に陰険なことをした人には思えなくなりました。
ここの住職はとてもいい方で色々なお話を沢山して頂きました。御朱印もこころよく受けて頂きすごく感謝しています。とても楽しいひとときをありがとうございました。
吉良家の菩提寺。手厚く供養されています。
吉良町のこと 今回は、我が(仮の)居住地である安城市から程近い吉良町のことを記して見たいと思います。 吉良と聞けば、そうあの有名な「忠臣蔵」に出てくる嫌な奴の代名詞みたいな吉良上野介の所領地であった吉良のことなのです。 司馬遼太郎の「街道をゆく」の本所深川散歩だったと思いますが、吉良氏および江戸本所の吉良邸のことが若干触れられています。それによれば、吉良家は徳川幕府の高家として、幕府の儀式式典を司る官職にあった様です。そんな幕府の高官であった吉良氏が、殿中での浅野氏との刃傷沙汰から官職を外され、屋敷も江戸城至近から江戸郊外となる本所の地に移ります。それから程なくして、例の有名な討ち入りが行われるのです。司馬さんも云っているのですが、幕府自体も予め復讐のごたごたが起こるのを予知して郊外に居住を移させたのではないかとか、あれ程の討ち入り衆がどうして幕士の抵抗もなく江戸を動き回り討ち入りを果たせたのかと不思議さがあるという様な疑問を表しています。そして、吉良氏を嫌な奴であったかもしれないが悪い奴ではなかったと思いを馳せています。 そんな吉良氏ですが、その菩提寺である華蔵持(けぞうじ)を訪れると、吉良氏の評価は決して低いものではないことが判ります。嫌な奴どころか、地元では良い殿様であったとの評価である様です。面白いことと思うのと、人の評価という面においての、難しさを感じさせることと思います。しかし、この様なことは今の世でもよくよくあることとも感じられます。送信日時: 2004年11月14日 日曜日 22:15 写真4 枚。
名前 |
華蔵寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0563-35-0935 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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吉良家の菩提寺で、入口目の前に駐車場あり。門前、本堂への道など綺麗に管理されており、長く地元に愛されるお寺さんというのが伝わります。江戸時代初期の創建。ありがとうございました。