桶狭間古戦場の謎を訪ねて。
今川義元戦死之地碑の特徴
今川義元が討たれた場所として名高い、桶狭間古戦場公園内に位置しています。
駿公墓碣と呼ばれる石碑がある、歴史的な謎に満ちた公園です。
より近代においても再評価が進む、桶狭間の戦いを物語る史跡が楽しめます。
小さな公園になっています♪
☆桶狭間古戦場公園の一画兵25000を率い意気揚々と駿河から三河~尾張へ進軍、織田信長を木っ端微塵に粉砕し進撃予定が、田楽坪で落命するとは、無念「今川義元」討死の地⚔️左から「今川義元戦死之地」碑「今川義元公」碑「駿公墓碣(すんこうぼけつ)」碑謎めく石碑は一番右手の『駿公墓碣(墓碣とは…角が丸い墓碑のこと)』、田楽坪に埋まっていた謎の石、誰が何のために建造年なども一切不明、妄想は桶狭間の住民が哀れ織田勢に討たれた今川義元の菩提を弔った墓碣か、敵方の織田家に見つからない様に静かに埋めて祀ったのでしょうか、これも小さな歴史の謎🤔
もう一つの桶狭間の戦いの古戦場です。今までは桶狭間の戦いとは織田軍が奇襲攻撃で今川義元を討ち取ったとの事ですが近年織田信長の一次資料の研究により正面からの正攻法により今川義元を討ち取ったとの解釈に変わってるみたいです。こちらの古戦場跡は織田信長と今川義元の像があったり公園南側が信長が清洲城から桶狭間までの進軍ルートを表したジオラマになっていて見ていて面白かったです。水回りにオオスズメバチがいたので即逃げました。行かれる方は気をつけてください。
2022.10.25本陣跡から走ったら1分ほどだ。急襲されてここまで逃げてきたのだろう。
桶狭間の戦い(1560年)で、織田軍に追い詰められて今川義元が討ちとられた最期の地ですね‼️感慨深いです!
織田信長が討った訳ではないですが、この戦いをきっかけにして天下取りを進めることとなった場所です。ARで桶狭間の戦いが振り返ることが出来ます。
今川義元が馬の手綱をくくりつけたと云われる枯れ木。触ると熱病になるとか。恐ろしい。
出張で近くまで来たので車で来てみました。現在は小さな公園内に石碑がありきれいに管理されていました。戦いの末、この地で戦死したと思うと感慨深いです。
2020.12.27訪問昭和時代に入り古戦場であったことを示す「江戸時代の碑石」が発見され、昭和50年代以降に藤本正行や小和田哲男らによって発表された新説にも補完されて、この「田楽坪」も義元戦死地の候補地として桶狭間古戦場公園に整備される。
名前 |
今川義元戦死之地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
〒458-0913 愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001−1202 |
評価 |
3.6 |
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2023年12月27日に見学しました。田楽坪と呼ばれるこの地は、永禄3年1560年の桶狭間の戦いにおいて、今川義元が、織田信長の軍勢に討ち取られた場所と言われています。墓碑には、「駿公墓碣(すんこうぼけつ)」と刻まれています。