歴史を感じる鞍掛神社。
鞍掛神社の特徴
鞍掛神社は佐野氏によって創建された歴史的な神社です。
御祭神には平安時代の武将、戸矢子有綱が祀られています。
平将門を討伐した俵藤太に由来する重要な場所です。
歴史的に残して欲しい場所です m(__)m
鞍掛神社(くらかけじんじゃ)御祭神 鵜葺屋葺不合命 天児屋根命 戸矢子七郎有綱朝臣命御祭神の戸矢子有綱(へやこありつな)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。通称は足利七郎、足利有綱とも呼ばれます。鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする藤姓足利氏の庶流で、佐野氏、阿曽沼氏、木村氏などの祖です。戸矢子有綱は、治承四年(1180)に高倉天皇の兄宮である以仁王と源頼政が、打倒平氏のための挙兵を計画した宇治平等院の戦いでは、兄足利俊綱の子・忠綱と共に源頼政を攻めて平氏に味方しましたが、寿永二年(1183)に、下野国の野木宮(栃木県下都賀郡野木町)で源頼朝らと志田義広らが争った野木宮合戦では、子の基綱と共に源氏に味方し、俊綱と忠綱を敗走させました。文治二年(1186)源姓足利氏と赤見山(佐野市赤見町)で戦いましたが、その最中に山鳥の矢で左眼を射られて敗走。途中の井戸で目の傷を治療したものの、石室(現佐野市戸室町)に参籠したときに、老体のため馬の鞍に腰をかけて自害しました。村人たちは、戸矢子有綱が藤原秀郷の末裔なので、祠を建てて祀り鞍掛大明神と称しました。本社創立は文治二年(1186)十一月鎭守府將軍田原藤太秀郷十五代孫中宮亮戸矢子七郎有綱にして故ありて爰に祭祀。后寛永十三年(1636)七月及ひ元録十年(1697)二月、延享二年(1745)十月の再建なり。(明治三十五年「下野神社沿革誌」及び「Wik」参照)拝殿中央に掲げられている、一見お坊さんの様に見える写真は、大悲山平等院大安寺所蔵「戸矢子有綱像」を撮影したものです。本殿胴羽目の彫刻は、太平記に載っている俵藤太(藤原秀郷)のムカデ退治伝説の各場面です。背面は、俵藤太が近江瀬田の唐橋で大蛇(龍神)に出会った場面です。大蛇は龍宮の主で剛の者を探していました。左胴羽目は、竜宮の主の話を聞き、俵藤太が化け物退治に向かうと、その正体は大蜈蚣だった場面です。右胴羽目は、大蜈蚣退治の礼として龍神より黄金作りの太刀と鎧、使っても尽きない巻絹と米俵、そして大きな釣鐘を戴いた場面です。(ブログ「信仰心に触れる」「神社ぐだぐだ参拝録」参照)
名前 |
鞍掛神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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平将門を討伐し、下野・武蔵の国司となり、鎮守府将軍に任じられた俵藤太(藤原秀郷)は、源氏、平氏と並ぶ武家の棟梁として数々の家系を輩出しましたが、そのうちの一つである佐野氏が創建した神社です。秀郷の子孫で佐野氏の祖となる藤原姓足利氏の有綱が、源姓足利市(後の将軍家)に敗れ、この地にて鞍に腰掛けて自害したことから鞍掛神社と呼ばれています。佐野市の観光案内でもガン無視されていて、観光地らしい華やいだ雰囲気は皆無ですが、本殿を彩る「俵藤太の百足退治」の彫刻は、題材の希少性も相まってなかなかの見ごたえです。御垣の外からではなかなかよく見えませんが、本殿右手の引き戸が普通に開いたので、じっくりと堪能させていただきました。佐野ラーメンの名店がいろいろとあって、食べる名所には事欠かない地域なので、市外からはすこし外れているものの、腹ごなしがてらに立ち寄るには十分な見ごたえです。