静和鹿島神社の歴史と神秘。
名前 |
鹿島神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=75839 |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ

静和鹿島神社(しずわかしまじんじゃ)御祭神 武甕槌命由緒下都賀郡靜和村大字三和鎭座 村社 鹿島神社本社は天平年間(729~749)行基法師東國遊錫の時當地に於て神奇に感し神告を奉して本社を造営すと後一村の鎭守神と崇敬す社域一千三百三十四坪を有し字鹿島に鎭す(「下野神社沿革誌」参照)静和という地名は、静戸、三和、和泉の三村の名の静と和から名付けられました。明治二十二年(1889)四月一日町村制施行により、栃木県下都賀郡三和村が同郡和泉村、静戸村、五十畑村、曲ヶ島村と合併し、静和村が成立し、下野神社沿革誌記載の鎮座地、静和村大字三和となっています。神社入口鳥居の右手に、案内板の文字は消えてしまっていますが、「要石」があります。鳥居を潜って参道左手に、水飛龍の石祠と碑があります。社殿手前左側に、明治十九年戌(1886)六月十七日の石祠と、元禄十六癸未年(1703)八月の青面金剛像が並んでいます。「水飛龍」の祭獅子当該古橋耕地では、三体の獅子頭を奉じた「水飛龍」と呼ばれる獅子舞の祭が古くより行われてきました。村内の雨乞い、夏の悪疫祓い、五穀豊穣を願う行事です。一伝によると、鎌倉時代中期、北条時頼公が諸国修行中に、この地に立ち寄った時、村内では子供の疫病が蔓延し、諍いが絶えず、人心は大いに荒廃していました。時頼公はこれを大変憂いて、霊験を得た古橋地内の豪族屋敷を囲む堀を霊地と選び定め鹿島山円明院を創建しました。時頼公自らその堀において禊をして、神仏に祈願をされたところ、疫病は平癒し、村民を普く救済善導されました。このときに造られたのが「水飛龍」獅子頭と云われています。また、その名前の由縁として、雨不足で田植が遅れていた村内に時頼公が、獅子頭を御手洗瀬に浸し、雨乞いの祈願をしたところ、忽ち空は黒雲に覆われ雷と共に大雨が降り、田植が出来て大豊作であったことに由来しています。(「境内碑」参照)