近藤勇と土方歳三が別れた歴史地。
近藤勇陣屋跡の特徴
近藤勇と土方歳三の別れの地として名高い場所です。
新選組の歴史を感じながら散策できる整備された史跡です。
年配のボランティアの方が歴史を丁寧に説明してくれます。
多摩地域の青年たちが志を一つに浪士組を結成し、京に上り新選組として隆盛を極めた新選組。しかし鳥羽伏見の戦いに破れ、甲陽鎮撫隊などを結成しては敗退し、ついに流山の地にたどり着いた。無念にも下総鎮撫隊として捕らえられ、板橋で処刑されるに至る。近藤勇ファンや幕末好きの方には感慨深い場所です。
近藤勇陣屋跡と観光マップには記載して合ったので、閻魔堂を見学してから期待して立ち寄ったら、路面の一部しか公開していないので、もしくは過去に陣屋があったという、単なる場所の説明にすぎない。
以前から気になっていましたが、駐車場の問題でなんとなく寄れずにいました。が、千葉銀行隣のパーキングに止めれたので寄ってみました。この辺りを散策すると古い建物も残っており、時間のある時に周辺散策をしたいと思いました。
埼玉の三郷に住んでた時、新撰組局長だった近藤勇の最後の場所として流山を知っていたので、隣の街である千葉県流山に何か無いか?と思い散策したら、ありました。斬首された場所かどうかは分かりませんが、近藤勇が幕府軍として戦った最後の場所としての跡碑を見て、色々考え深くなりました。一道場主が、ある意味会津藩主預かりの京都守護職という地位を得て、最後には立派な将軍家の家臣となったかた。自分の正義と夢のために生きた方。幕府と将軍を守るため生涯戦い、最後まで戦うことが出来なかったのは、無念だったと思いますが、ある意味、倒幕されるのを目にすることがなかったのは良かったかも知れません。とにかく、今の日本の歴史を語る上で、なくてはならない重要な存在だと思います。あまり知識がない上、知ったかぶりをしてるようなら、申し訳ございません。私としては、幕末が好きで、これを機に京都など色々な場所を訪問するキッカケとなった場所です。何か良い知識がありましてら、是非教えてください。
車の方はどこかのコインパーキングに停めて歩かれることをお勧めします。本陣がここで、すぐ近くの浅間神社に錦の御旗が立った😵 すぐ先のちょっと高台(市役所)に大砲が備えられた、などと想像すると、その距離の近さにびっくり。南方に分宿していた隊士達は守りに来られなかったのか、包囲された近藤は投降することを決意し歳三様と別れることに。土蔵は新選組とは関係なく移築されたものだそうですが、おかげで雰囲気はある。土台石は当時のもの。奥の倉庫?のあたりに大きな建物があって、そこを本陣としたそうです。敷地内のお稲荷さんは必見💁
そもそも新選組の近藤勇が何で流山に居たのか不思議でしたがどうやら戊辰戦争で新政府軍に追われてここまで来たようです。付近は道幅が狭いので車の場合は要注意。電車であれば流山駅から歩いて5分の距離です。
散歩がてらに寄ってみました。
しっかり整備されていてよい!
新選組最後の陣屋があった場所。
名前 |
近藤勇陣屋跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
04-7159-3434 |
住所 |
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HP |
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013070/1013072.html |
評価 |
3.5 |
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2023年6月現在は、工事中です。今までも看板くらいしかなかったですが、今はその影すらありません。工事が終了したら、今までより見応えがある史跡の場所として存在することを期待します。