静かな神域、出雲乃伊波比神社。
出雲乃伊波比(いずものいわい)神社(赤浜)の特徴
埼玉県道81号沿いに位置し、ひっそりとたたずむ神社です。
平安時代初期からの由緒正しい歴史を誇る神社です。
境内に入ると不思議な神域を感じさせる独特の雰囲気です。
延喜式神名帳の武蔵國男衾郡の項に記載のある式内社の論社の一社。この神社の鎮座地より徒歩3分ほどの場所に式内社の小被神社が鎮座する。小被神社も当社も元々の鎮座地は荒川の近くにあったようだ。当社の境内の由緒書によると、字下河内の八幡塚に鎮座していたが、天正8年(1580)に度重なる荒川の氾濫で集落共々移転し、現在の場所に鎮座したという。したがって、同じ式内社の小被神社との距離が近すぎるのに違和感があるものの、元々の鎮座地からの遷座とすると納得がいく。元々の鎮座地は八幡塚と呼ばれた場所にあったとのことで、当社も江戸時代以前は「白旗八幡社」と呼ばれていたそうだ。それは天喜年中(1053―1058)に奥州征伐の途中に近くを通りかかった源頼義が、当社に白旗を献上して戦勝を祈願したことによるという。そして現在の社名になったのは明治のことだそうだ。
住宅地前にひっそりとたたずんでいる神社ですがそれでも境内に入ると神域を感じさせる不思議な神社でした。人の気配が全くしないのでとても落ち着いた気持ちで参拝できました。
この神社も男衾郡の三座(式内社)の一つの神社で平安時代初期からの由緒正しい神社です。地元では赤浜の八幡さまと呼ばれています。以前は神社と赤浜地区は荒川の側にあり、度々の洪水の被害にあい南側の高台に地区全部で移動したとの記述がありました。神社の前の場所は北東方向の荒川側に石碑があります。
埼玉県道81号熊谷寄居線沿い、寄居町赤浜に鎮座する『出雲乃伊波比神社』。埼玉県内には、同名の神社が熊谷市坂井にも鎮座している。『出雲〜』と称しているが、出雲大社とは関係なく、出雲族の末裔と称する武蔵国物部氏が祀った神社で、元々は「八幡神社」と呼ばれていたらしい。でも八幡神は主祭神じゃないし、素戔嗚命は大國主命の岳父だし、御祭神を祀った云われを知りたくなるくらい、マニアックなラインナップです。●社名:出雲乃伊波比神社●住所: 埼玉県大里郡寄居町赤浜723●造り: 入母屋造●御祭神:主祭神:須佐之男命配祀神:三穂津姫命(大國主命の妻、高皇産霊尊の子、出雲大神宮主祭神)誉田別命(応神天皇、八幡神社主祭神)天児屋根命(建御雷神の子、春日大社主祭神)天太玉命(高皇産霊尊の子)天穂日命(天照大御神と須佐之男命が誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱)合祀神:天照大御神軻遇突智命(火之迦具土神、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神)●由来:・創建年代不詳、『出雲乃伊波比神社』創建。・1052年、源頼義が陸奥国遠征時に戦勝祈願の為参拝し、白旗を献上した事をきっかけに『白旗八幡社』と改称。・1557年、赤浜村下河内に移転・1580年、荒川の洪水により、現在の鎮座地に移転。・1820年、本殿再建。・1868年、創建当初の社名の『出雲乃伊波比神社』に改称。●御朱印:なし。
静かな場所です。
[延喜式内社]武蔵國 男衾郡 出雲乃伊波比神社。
5月の日曜の夕方参拝に訪れたのですが、拝殿前の雰囲気に違和感が、近づくと賽銭箱の蓋が開けられていました。隣の宮司さんを訪れお伝えしましたが、初めてのことではないそうで「小銭がちょっとしか入ってないのに」とのことでした。
名前 |
出雲乃伊波比(いずものいわい)神社(赤浜) |
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ジャンル |
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電話番号 |
048-582-0879 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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男衾郡式内社3座の1座、出雲乃伊波比神社の論社。資料によると、創建年代等は不詳ながら、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「出雲乃伊波比神社」に比定されています。源頼義が、天喜年間(1053-1058)奥州征伐に際し、当地附近を通りかかり、当社に白旗を奉納して戦勝を祈願したことから、「白旗八幡社」と称するようになったと伝え、以後八幡社と呼び習わされてきました。戦国時代には字下河内の八幡塚に祀られていましたが、荒川の氾濫により住民80戸共に当地へ天正8年(1580)に移住、当社も遷座しています。江戸期を通し春日社を相殿とする八幡社として祀られてきました。当社は「赤浜の八幡様」の呼び名で親しまれているが、再び出雲乃伊波比神社と呼ばれるようになるのは、明治維新後のことである。これは、王政復古を機に、当社の社号も伝統ある出雲乃伊波比神社の旧号に復したものであるが、長い間使われてきた呼称への愛着は強く、今でもなお「八幡様」の通称のほうが広く知られている。なお、出雲乃伊波比神社とは、出雲系の豪族集団が出雲の祖神を祭祀した社、また「出雲の神を斎う」社と表されている。とあります。この様な遷座の歴史からか、この赤浜の地区にある式内社の小被神社とは近接しています。主祭神は須佐之男命。