歴史感じる静かな神社、狛犬ともに。
八幡若宮八幡神社の特徴
荒川サイクリングロード終点に位置する静かな神社です。
御祭神に仁徳天皇を祀る由緒ある村社です。
押切橋のたもとに佇む、可愛い狛犬が印象的です。
荒川サイクリングロード(荒サイ)右岸終点の橋、押切橋のところにあるいい雰囲気の神社。前に自販機があります。
押切橋のたもとにある神社です。隣には公民館があります。特にここの小さい方の狛犬は、古くて独特な犬のようでかわいかったです。長年地元に支えられている神社かと感じます。
二対の狛犬がいいね。
荒川近くの静かな神社⛩可愛い狛犬?がいる!
名前 |
八幡若宮八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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八幡若宮八幡神社御祭神 誉田別命相殿神 大雀命(仁徳天皇)境内社 神明大神宮 末社合殿(神明社・稲荷社・戸隠社)由緒村社八幡若宮八幡神社は、明治初年まで八幡宮と称しましたが、明治五年(1872)上押切御正山若宮坊東陽寺の氏神若宮八幡社の御祭神仁徳天皇を移転合祀し、同時に現在の名称にされました。御祭神は誉田別命、御神体は明治初年まで誉田別命の乗馬の像でしたが、合祀の際にこれを撤し、御幣としました。なお、大正四年(1915)大嘗祭記念として鏡を御神体として奉斎しました。末社には、主神の神明社ほか一社があります。本社の創立年代は不詳です。当神社は、文化六年(1809)、文政七年(1824)、文政十年(1827)と度々の大洪水で流失したため、用水堀のほとり(元八幡)に仮本殿をつくり、文政十二年(1829)に現地に遷座しました。二月に新年祭、十二月に感謝祭、十月に大祭を斎行し、大祭当日は「ササラ獅子舞」が奉納されています。(「境内案内板」より)「埼玉の神社」による記載当神社は、文政十年(1827)まで、現在地から北西1kmのところの荒川河岸(現荒川河川内)に鎮座していました。「押切の四角の森」と呼ばれた社地は、樹齢数百年を経た老杉が林立していたことから、旅人が釜伏峠から眺めると、必ず目に止まったといいます。四角の森というのは、遠望した折の森の形を形容したものです。しかし、この森も文化六年(1809)の水害で一部水没、更に文政七年(1824)、次いで文政十年(1827)の洪水で流失しました。本殿のみは、難を逃れて近くの用水の側(元八幡)に仮遷座していましたが、文政十二年(1829)社をそのまま放置するのを憂えた村人は、祭祀を永続すべき地を現在地に定め、遷座しました。創建は、水害で史料を失い明らかではないですが、口碑に、当地を領した武将が戦勝を祈願し、その報賽で社殿を建立したと伝えています。社名は、長く「八幡社」でしたが、明治初年廃寺となった本山派修験、御正山東陽寺若宮坊の境内にあった「若宮権現社」を明治五年(1872)に合祀して、「八幡若宮八幡神社」と改めました。若宮権現社は「風土記稿」によると、天平勝宝三年(751)の創建を伝える古社です。祀職は当地累代の篠田家には、宝暦十年(1760)の四組木綿手跡許状をはじめとする江戸期の神道裁許状を六点所蔵しています。(「埼玉の神社」参照)「押切ささら獅子舞」押切ささら獅子舞は、熊谷市上押切にある八幡神社の祭りで奉納される獅子舞です。獅子舞の発祥については、地元の言い伝えに、元和元年(1615)大坂夏の陣で敗れた豊臣の家臣といわれる落武者が獅子に化けて逃げてきた、という逸話が残っています。(サイト「埼玉わびさび」より)