川北神社の歴史と神々を感じて。
川北神社の特徴
川北神社の御祭神は、日本武命や天津彦根命などです。
古代の条里制に由来する中条の地に位置しています。
慶安二年に別当実相院が附せられた由緒ある神社です。
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社格創建祭神 日本武尊命 蔵王権現像。
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社格 創建祭神 日本武尊命 蔵王権現像。
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名前 |
川北神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.0 |
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川北神社(かわきたじんじゃ)御祭神 日本武命 天津彦根命 天忍穂耳命 伊弉諾命 伊弉冉命由緒上中條村 蔵王権現社 社領十石五斗 慶安二年(1649)に附せらる別当実相院 是も常光院の門徒なり 大塚山昌福寺と号す 弥陀を本尊とす(「新編武蔵風土記稿」参照)川北神社は、荒川扇状地にあり、古代から開発された所で、地名の中条は古代の条里制に由来します。「風土記稿」に「蔵王権現社 社領十石五斗 前と同年(慶安二年)に付せらる 別当実相院 是も常光院(天台宗)の門徒なり 大塚山昌福寺と号す」とあります。この蔵王権現社が当神社です。社蔵文書の明治三年(1870)十二月「吉野神社明細書」に「字川北鎮守吉野神社、社号ハ元蔵王権現ト称来リ候処明治二已年十一月吉野神社ト改正仕候。従来天台宗実相院ニテ別当仕来候処、先般神社御見分ノ節、御出役様へ御伺済ノ上同村秋葉神社神主島田清美方へ奉幣ヲ頼ミ申候」とあり、社号改称と奉仕者変更を知ることができます。文書中の島田家は、字荒宿の鎮守秋葉神社の別当を務めてきた当山派修験大学院が復飾したものです。神仏分離に伴い、御祭神は日本武尊とされましたが、内陣には現在も像高72cmの蔵王権現像が安置され、氏子に権現様と呼ばれて崇敬されています。この像を納める厨子には「宝永第四丁亥暦(1707)九月吉日」の墨書銘があります。今日の社号川北神社は、明治四十三年(1910)五月二十日の改称で、「明細帳」に「字荒宿無各社秋葉神社、字吉野無各社八王子社ヲ合祀シ、社号ヲ川北神社ト改称ス」とあります。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)上中条地域には二社の鎮守社があります。上中条の地内は、差鍋堀という用水を境に二分されていました。その北側は「川北」、南側は「川南」と呼ばれていて、川北神社は文字通り川北地区に鎮守社で、三幸神社が川南の鎮守社です。上中条の総鎮守は川南の三幸神社となっています。(三幸神社の案内板「三幸神社由緒」参照)上中条という狭い区域に、差鍋堀という用水を挟んで二社も鎮守社が存在する理由は、この区域が古代から如何に生産力が高く、定住していて住民も多かったかを示しています。