鹿見堂橋近くの道祖神。
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中原街道及び八王子街道、古くは奥州街道と呼ばれた街道沿いにあります。道祖神は前掛けでよく分かりませんが、単体型のようです。調べてみたところ四之宮上郷と田村下町の一部でお祀りしているもので、享保4年(1719)の造立で「道禄神」との銘文が刻まれており、これと全く同型のものが田村地区に2基存在するそうです。
| 名前 |
田村の一里塚跡と道祖神 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
|
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平塚から厚木・八王子方面に延びる街道沿い、鹿見堂(ししみどう)橋を少し過ぎた辺りに、小さな祠に鎮座した道祖神と、石碑、看板があります。ここは平塚市四之宮と田村の境界辺りで、かつてはここに高さ4尺5寸(約1.4m)の一里塚があり、塚の上には榎木が植えられていたのだそうです。石碑には「南 中原道 北 奥州道ゑの木処 一里塚 跡」と掘り込まれています。一見古いもののように見えますが、石碑の裏を見ると「昭和四十八年秋 平塚市観光協会 長島三郎書」とあり、実は比較的新しいもののようです。石碑の横に立つ看板の文字は消えかかっていましたが、判読できた部分を下に転記します↓「田村の一里塚の跡ここに平塚で最も古い道の一つで、平安の昔の奥州道であったといわれ、後に徳川家康が江戸城から相州中原(平塚市中原)の宿舎まで、鷹狩にくるのに用いたという中原街道といわれる重要な街道があった。このあたりに、東海道などと同様に一里塚が設けられ、榎が植えられていたという。 「新編相模国風土記稿」には、八王子道にかかる一里塚であるとの記述もあり、このあたりでは、中原街道と八王子道は、同一であったと思われる。 平塚市観光協会」