白龍伝説が息づく神社。
龍藏神社の特徴
神亀二乙丑年に創建された歴史ある神社です。
離れの社務所で魅力的な御朱印が頂けます。
白龍伝説にまつわる神社で、静けさが漂っています。
龍蔵神社このお神社は シナツヒコ と シナトヘノミコト を奉る。聖武天皇神亀2年 725年の勧請と伝わっている。昔は(1840年時点から昔を振り返ると)井山神社龍蔵大権現といっていた。1180年 源頼朝の願いによって 神祗官奉幣の相模61社の中につらねる。官社 であったのだろう。【神祗官奉幣とは】奈良時代に入る頃に、朝廷中央には神祇官が置かれた。諸国の神社のうち、国家神として認められた神社には、祈年祭のとき朝廷から神祗官により幣帛(へいはく)が奉られることになってた。この奉幣にあずかる神社を「官社(かんしゃ)」と言う。 ~くわしくは東京都神社庁のホームページで徳川の時代になって2石の朱印をいただいた。❶【六道能化之尊像】 石造地蔵菩薩坐像 47㎝文明6年【1474年】願主 小比丘 思澄背面 奉造置六道能化之❷【石棺】現在は龍蔵神社と隣接する民家との境に露出した状態でおかれているとこと。【1999年時点での書による】明治38年外山松次郎氏によって【考古界】で紹介されている。❶、❷に関しては後日に調べたもの。※❶は頭の欠けた地蔵だそうです。しまわれているかも。※❷石棺は気が付かなかった。図で寸法が入ったものがあったので、あげておきます。石棺と聞くと大きいものを想像するが、これは結構小さい。次の機会がありましたら探してみます。【相模風土記、厚木市史、東京都神社庁より】
七五三の撮影でお伺いさせていただきました。龍藏神社は伊勢へ取り次いで下さる大切な氏神様です。
御朱印が頂くことができる神社。徒歩5分ほどの社務所にて頂くことができる。目の前を流れる川が爽やかですよ。
近くのロウバイの丘を観に行った帰り、引き寄せられるように参拝させていただきました。清々しい空気に包まれてゆったり時が流れていました。
白龍伝説の神社さんらしいです。
飯山観音の『長谷寺』さんの麓にある神社さんです。橋を渡ってすぐ左手側の川沿いにあり、ひっそりとした神社さんです。御朱印は、長谷寺さんに向かって神社から500~600m位緩やかな坂道を行った右手に『社務所件ご自宅』があります。元気なワンちゃんのお出迎えがあります!
静かな場所にある神社です。
歴史はあるのかもしれないけど、少し残念なところがある神社。まず手水舎。なんか飲み口ついてます。 地元の人の公園的な話なら問題ないけど、観光で来た人は引きます。まあ、ブランコもあるし公園を意識してるのだろう。 あと、石塔類邪魔だから寄せましって感じもあまりよくないかな。二十三夜の石塔ぐらい見れますが。本殿はいい感じです。 偉そうに言っていますが、地元の方が使うのだからまあこれでいいのかな、とも思います。「金剛寺」「長谷寺」「飯山温泉」などの近くにあるので、寄ってみてもいいのでは。
離れの社務所で御朱印を頂ける神社。兼務社多数なれど御朱印対応無し。本日、宮司不在で留守宅を預かる大奥様が対応。厚木市内の神社検索をしてもなかなか出てこない、ちょっとした盲点。小田急大山フリーパスのバス乗車区間。
名前 |
龍藏神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-241-1633 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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【由緒沿革】神亀二乙丑年(725年)、僧行基勧請すると言い伝えられる。古昔は井山神社龍蔵大権現と称した。治承4年(1180年)鎌倉頼朝公の願により、神祇官(白川殿)奉幣の相模国六十一社の内に入り、社領も旧来の寄附地と天正19年(1591年)、徳川家康公より社領高2石の朱印がある。宝暦元年(1751年)、拝殿を再建、天保4年(1833年)、本殿も再建した。明治2年(1869年)、朱印地上地となり、明治6年(1873年)7月30日、足柄県に於いて村社に列格、明治40年(1907年)4月30日、神饌幣帛料供進の神社に指定された。昭和34年(1959年)覆殿、拝殿を改築した。特殊神事 祈雨祭(早魃に際し行われる神事である。)当日社頭に集合し、祈雨祭を執行する。前の川原に下りて水垢離をとり、それから筧ケ沢、通称、白山の山上の池の水を浚うのが古例となっている。2021年11月 往訪御朱印は社務所にて頂きました♪