琵琶湖の絶景と太閤井戸。
長浜城 太閤井戸跡の特徴
豊臣秀吉が長浜城主時代に作った太閤井戸がある場所です。
琵琶湖の水位低下で見られる珍しい石碑の姿が魅力的です。
長浜市の豊公園内から湖を望む美しい景色が楽しめます。
自転車で琵琶湖ライド中によりました。景色が良くて其れに静かでよかったです。近くにお店などはなかったです。
諸説あるが豊臣秀吉が長浜城主時代に作らせた井戸。確たる根拠はないらしいが琵琶湖の渇水で発見され、湖面が満ちれば沈み、渇すれば現れるのが趣きがある。琵琶湖も良く見渡せシチュエーションは最高。太閤さんが掘ったと信じたい。
⭐️前日の大雨で近寄れず😅⭐️長浜城1615年(大坂夏の陣の年)廃城、城内の建造物や石材・資材は井伊家/彦根城築城に転用され、殆ど長浜城の遺構消滅、数少ない遺構の一つが太閤井戸❗️⭐️琵琶湖を背景に素敵な景色が広がり、この景色は昔々から変わってない⁉️秀吉もねね(北政所)も見てたんですね、この風景😄
琵琶湖の水位の低下で 普段は見ることの出来ない石碑の下の部分を見ることが出来ました。長浜城に見守られています。駐車場は3時間まで無料なので、ゆっくりと散策することが出来ます。
1939年、琵琶湖が渇水した際に発見された井戸で知られます。同年9月【太閤井址】の石碑が設置されました。羽柴秀吉時代(のちの「太閤殿下・豊臣秀吉」)、長浜城主時代に掘らせた井戸。長浜城の井戸であった可能性が指摘されているものの、長浜城は廃城後、水田などの田畑で農地となっており、秀吉時代の井戸である明確な根拠は無い為、推測として残されています。 それともそれ以前のものなのかも。ただ湖に浸かり、水が引くと井戸が現れるというケースは大変貴重という事で、数少ない石垣と含めても、存在する遺跡としてはかなり重要視されています。石碑の後ろにポツンと小さな長石が立っていますが水位を表すものなのでしょうか?(実はあっちが本体? 調べてみましたが答えが出ず。)『構造推定復元図』で見る限り、実際の井戸の位置は陸にあったのかも知れません。若しくは石垣が崩壊した際に崩れて移動してしまったのかも? すると実際の水源自体が別の場所とも推定できます。
長浜市の豊公園の中から琵琶湖を望むところにある太閤井戸。琵琶湖を眺める景色が良くて気持ちの良いところです。JR北陸線長浜駅からも徒歩で10分くらいあればいけます。長浜城もそばにあるので、長浜駅から徒歩で行ける、絶好の観光スポットであるといえますね。長浜は他にも黒壁スクエアや海洋堂フィギュアミュージアム等沢山の観光スポットがある町全体が観光名所です。しかも大阪から新快速に乗れば乗換せずに2時間弱で行けるので、関西の日帰り観光スポットとも言うことができます。とてもおすすめな場所です。近江牛や伊吹山コーヒーなど美味しい食べ物も沢山あります。関西の中でも有数の観光スポットなので他地方から来た人も楽しめますので、ぜひ、訪れて欲しいと思います。関西人の私がオススメする関西の観光スポットです。
井戸と言うから曰く付きのホラーか湧き水かでもあるのかと思ったけれど、この期待の裏切られ方は嫌いではない。…ぁ、潮の満ち引きがあるのね??
豊公園に同じ。
琵琶湖のほとりにある石碑とでもいうんでしょうか。
| 名前 |
長浜城 太閤井戸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 住所 |
|
| 評価 |
3.8 |
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温暖化の影響で、渇水していて、石碑のところまで歩いて行けました。普段は石碑の下の方の苔が生えているところまで、水に浸かっていると思われます。