本多忠勝 陣跡の隠れ家。
本多忠勝陣跡の特徴
徳川四天王に名を連ねる本多忠勝の陣跡が住宅街に隠れています。
住宅街の裏手にひっそりと佇む歴史的なスポットです。
一見分かりにくい場所ですが、戦国時代の雰囲気を感じられます。
徳川家康の家臣でその武勇で鳴らした本多忠勝公が関ヶ原合戦の折に陣を置いたとされる場所。本多家紋(本の字)の幟に石標, 説明板があるのだが、民家数軒に囲まれるようにひっそりとあって目立たず、近くの道が細くて曲がっているのもあってすこし分かりにくい。民家の庭なのか公共の場所なのか分かりにくいのですこし居心地悪さを感じた。長居をするほどいろいろなものがあるわけでもないので、見るものを見たら早々に退散するのがいいかもしれない。あと、道脇に案内の標示があって矢印と距離(50m, 20m)とが書かれているのだが、標示を信ずるならば20歩程度の距離が30mとされているので、距離はあまりあてにならないかもしれない。
徳川十六神将、徳川四天王に名を連ね、誰もが知る戦国武将。名槍「蜻蛉切」を操り、生涯57度の戦いでかすり傷すら負わなかったとされる強者。宿敵武田信玄家臣から「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の兜に本多平八」と言わしめた等々の、現在に至るまで数々の逸話が語り継がれています。名だたる武将オールスターが参戦布陣したこの関ヶ原の地に立つと、数々の逸話、エピソードが強烈に現実味を帯びて来るのを実感しました。細い路地を入った住宅に隣接しているためマナーは守りましょう。
ここ岐阜関ヶ原は西軍の地だからか、東軍の本多忠勝の陣跡地が民家の間で、案内の人を頼んで良かった。自分たちだけでは見つけられなかったと思います。皆さんも東軍の陣跡行く時は、是非案内の人を頼んでくださいね。話しながら、巡ってくれるので良かったです。
そういえば関ヶ原での本多忠勝の活躍はあんまり聞かんよなー小職が知らんだけかもやけど戦国時代が終わりに近づいてるのを肌で感じて忠勝公は一抹の寂しさをおぼえて精彩を欠いてたんじゃないかなそんな気がします。
ちょっと分かりにくい、車が通れない細い道を入った先にあります。一応目印の案内があるのですが、見落とし注意です。
民家の敷地内にあり奥にあるので分かりにくい場所にあるので気をつけてください。家康の家臣、本多忠勝平八郎の陣跡です。
民家の裏庭のような所にひっそりと有ります。
路地入って、こんなとこにある?って思っても進んで!左側に小さな空き地が見えたら幟がはためく。
10/8 訪問公民館の裏にあります目だないから見つけにくいかも。
名前 |
本多忠勝陣跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0584-43-1600 |
住所 |
〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原3441−67 |
HP |
https://www.sekigahara1600.com/spot/hondatadakatsujinato.html |
評価 |
3.7 |
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個人宅の裏庭に入っていくと、あります…ホントに入っていいの?とビクビクしながら撮影しました…