丸山川の歴史、丸氏の菩提寺。
天台宗 安楽寺の特徴
丸山川近くに位置する天台宗の寺院です。
丸氏の菩提寺として深い歴史があります。
裏山には丸城の山城が存在します。
里見氏に支配される前は重要な氏族だった丸氏の菩提寺。地名の丸本郷は丸氏からとられており、その血脈は今に残ります。
天台宗のお寺です。
裏山に有る山城「丸城」の城主である丸氏の菩提寺。因みに昔はこの寺の辺りに丸氏の居館が有り、石橋山の戦いから敗走して来た源頼朝を助け数日間滞在させたらしいです。裏山の崖には鎌倉時代の様式の墓である崖を掘って作った「やぐら」が残っています。平安時代末期から室町時代中期まで350年間この地で勢力を持っていた。その後は里見氏の家臣になったとか。江戸時代初期には里見氏の国替えに従い一部の丸氏は山陰地方に行った。
名前 |
天台宗 安楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0470-46-3572 |
住所 |
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評価 |
4.7 |
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丸山川周辺先住者でこの付近一帯をおさめていた丸氏。桓武平氏が先祖ですが源氏に従った一族でした。後に…源頼義が東夷平定の功により、朝廷からこの土地を与えられ…その後、源為義→義朝へと引き継がれたそうです。1159年6月義朝が息子・頼朝の昇進を願い伊勢神宮にこの土地を寄進し、荘園となります。このことにより頼朝は、朝廷役人・蔵人になることができました。そして、先住者だった丸氏が国衛在庁官人として、管理を任されたそうです。丸氏の先祖は★安房守・丸正扶(タダスケ)で、開拓・開発による農業経営をした武士でした…。四代目の・丸五郎信俊とゆう方が一番著名な感じかな。石橋山の合戦で敗北した頼朝は、再起を願い安房の豪族を味方にする為安房国を巡回したときに丸五郎信俊の案内で丸城に訪れ、数日滞在したそうです。頼朝は、合戦に敗れたことや、父・義朝のことなどを想いだし…涙を流したと伝わります。巨人の丸佳浩さんの御先祖でもあるのかな~🍀この地域は、岩窟の中にお墓を造る風習があるようです。このお寺の裏山は昔は、砦があったみたいです。