津長神社で神聖なひととき。
津長神社、新川神社、石井神社の特徴
津長神社は皇大神宮内宮摂社の古社で、歴史を感じられます。
神社の参道は饗土橋姫神社から続き、アクセスしやすいです。
かつて五十鈴川の船着き場があった、津長原の由緒ある地です。
皇大神宮(内宮)摂社つなが神社祭神は楢長比売命(すながひめのみこと)同座内宮末社 新川神社にいかわ神社祭神は新川比売命(にいかわにめのみこと)同座内宮末社 石井神社いわい神社祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)昔この辺りを津長原と言われ、五十鈴川を遡ってくる船の船着場があったとそうです。倭姫命もこの地域に上陸され、この神社を定められたと伝わってます。同座の新川神社も倭姫命が定め、川の神を祀ってます。石井神社は岩清水の守り神だそうですす。
延喜式神名帳の伊勢国度会郡の項に記載のある津長大水神社と記載のある古社。皇大神宮の摂社。御祭神は栖長比賣命(すながひめ)。国文学研究資料館の「皇太神宮儀式帳」(デジタルアーカイブ)には、「称大水上ノ兒栖長比女ノ命形石坐倭姫内親王代定祝」とあるので、倭姫命の創建で、石が御神体となっている(た?)ようだ。「(た?)」というのは、皇太神宮儀式帳は804年に編纂されたものだが、当社は中世に衰退し、江戸時代に当地に再興されたので、今でも石を御神体としているかは不明。「大水上」(おおみとみかみ)の子神としては、当社のほか、園相神社(伊勢市津村町、御祭神=曽奈比々古命)、鴨神社(度会郡玉城町、御祭神=石巳呂知居命)、宇治山田神社(伊勢市中村町、御祭神=山田姫命)、久具社(度会町上久具鎮座の久具都比賣神社、御祭神=久々都比女命)、楢原神社(度会郡玉城町鎮座の奈良波良神社、御祭神=那良原比女命)など多数の記載がある。当社のすぐ近くに大水神社があるが、この神社の御祭神は「皇太神宮儀式帳」によると「大山罪乃御祖命」で御神体はなかったようである。
そして、伊勢の地に降り立つ。ナゼ、この地、伊勢が選ばれたのか。その昔、五十鈴川の船着場であった『津長原』に、志摩国から還ってきた倭姫命(やまとひめのみこと)が、船を留められ、伊勢の地に降り立ちます。最終的に伊勢に落ち着く際には、天津神を地上に導き案内した猿田彦命の裔である大田命が五十鈴川のほとりの霊地に導いたと伝えられます。第10代崇神天皇の時代に天皇の皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)が「御杖代(みつえしろ)」となって天照大神を戴いて大和を旅立ちました。しかし、安置できる場所を確定できぬまま豊鋤入姫命は亡くなり、その遺志を継いだ第11代垂任天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、この地、伊勢に定められました。豊鋤入姫命が大和を発ってから伊勢に落ち着くまで80年この間、 「天照大神」は、丹波、吉備、伊賀、近江、美濃等の諸国を転々としました。各地で、いったんはそこに祀られながら遷宮された場所が、20ヶ所以上 。それらの場所を「元伊勢」と呼び、数々の遷宮を繰り返し、最終的に今の伊勢に落ち着きます。伊勢の手つかずの自然の中に秘められた「第一行」が他の場所に比して強力で、かつ天照大神を祀るための条件が全て整っていたと倭姫命は、判断されました。倭姫命が、伊勢の地の霊力を最初に感じたのがここ『津長原』というわけです。ミサキ神、猿田彦命に導かれて。
御祭神:津長神社に栖長比賣命/新川神社に新川比賣命/石井神社に高水上命津長神社の創建は、倭姫命世記という書物によれば垂仁天皇26年と伝えられています。新川神社、石井神社は元来別の場所に鎮座していましたが中絶したため、明治4年(1871、1872)、津長神社に新川神社、石井神社を同座させる事となりました。津長神社、新川神社の御祭神は水神とされ、石井神社の御祭神は石清水の守護神と言われています。拝:2020/08/06伊勢神宮125社(36/125)
津長神社(つながじんじゃ)皇大神宮摂社栖長比賣命(すながひめのみこと)その昔、五十鈴川の船着き場があり、津長原といわれていた。末社の新川神社(にいかわじんじゃ)祭神は新川比賣命(にいかわひめのみこと)と石井神社(いわいじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。 祭神は水の神新川神社(にいかわじんじゃ)皇大神宮末社新川比賣命(にいかわひめのみこと)川の神として伝えられ、倭姫命が定められた。石井神社(いわいじんじゃ)皇大神宮末社高水上命(たかみなかみのみこと)石清水の守り神と伝えられる。
内宮駐車場の反対側やや右手に有ります。
その昔、五十鈴川の船着き場があり、津長原といわれていた。末社の新川神社(にいかわじんじゃ)祭神は新川比賣命(にいかわひめのみこと)と石井神社(いわいじんじゃ)祭神は高水上命(たかみなかみのみこと)がご同座されている。 祭神は水の神。伊勢神宮崇敬会より。
饗土橋姫神社から続く参道なので、駐車場裏手から回り込むようにして入るとお参りできます。
五十鈴川の西側、3社有る神社の右側の神社です。
| 名前 |
津長神社、新川神社、石井神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
津長神社(つながじんじゃ)。三重県伊勢市宇治今在家林崎。式内社(小)、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。内宮の摂社27社のうち第14位である。主祭神:栖長比賣命(すながひめのみこと:大水上の子)御同座社:皇大神宮末社 新川神社(にいかわ) 祭神:新川比賣命(付近にあった船着き場の守護神、大水上命の子)皇大神宮末社 石井神社(いわい) 祭神:高水上命(たかみなかみのみこと、石清水の守護神である)資料によると、五十鈴川を挟んで、内宮の対岸にある。すぐ南隣に、饗土橋姫神社が鎮座している。津長神社・饗土橋姫神社・大水神社と並んでいる。皇大神宮の摂社で、式内社・津長大水神社に比定される古社。垂仁天皇の御宇、倭姫命が御船を泊留したことにより、当地を津長原といい、津長社を定めたという。だが、中世の頃に衰微してしまい、社地は畑となってしまったらしい。後、寛文三年に現社地に再興された。皇大神宮末社である新川神社、石井神社が同座(合祀)に祀られている。両社とも別の場所に祀られていたが、廃絶してしまったようだ。3社とも倭姫命の定めた神社であり、祭神は水神である。とあります。