後三條天皇の圓宗寺陵、歴史を感じる散策を。
後三條天皇 圓宗寺陵の特徴
後三條天皇の圓宗寺陵は三つの陵墓の一つです。
朱山七陵に属する円丘は荘厳な雰囲気があります。
宮内庁により治定された歴史深い場所です。
被葬者:第71代・後三條天皇宮内庁により、第71代・後三條天皇の圓宗寺陵に治定されています。後三條天皇は平安時代を生きた方で、父は第69代・後朱雀天皇、母は禎子内親王です。拝:2020/10/31
朱山七陵に属している円丘の陵墓です。龍安寺境内にあり、駐車場に向かう道から参道が分岐しています。(陵墓の参拝だけなら龍安寺の拝観料は必要ありません。)右から父親の後朱雀天皇・長男の後冷泉天皇・次男の後三条天皇の陵墓が築造されており、こちらは左側の後三条天皇です。参拝した4月には、陵内から鶯の鳴き声を聞くことができました。
| 名前 |
後三條天皇 圓宗寺陵 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-601-1863 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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三つ並ぶ陵墓の一番左側です。木々で隠れていますがその隙間から少し拝所が見えます。後三条天皇円宗寺陵(ごさんじょうてんのうえんそうじのみささぎ)とされ、宮内庁が管理しています。この第71代後三条天皇(1034〜1073、享年40歳)が生きた平安時代の権力者といえばもちろん藤原氏であり、摂政や関白となるために道長をはじめとする藤原氏の人間は自分の娘を天皇と結婚させ、その間に生まれた皇子を次の天皇にさせて祖父として権力を握る、というのは知っている方も多いでしょう。でもこの 後三条天皇は藤原氏を外戚としない170年ぶりの天皇となっています。そのため藤原氏の影響がない後三条天皇は大胆に国内の改革を進めました。摂関家領などの多くの荘園を公領としたり、家柄にとらわれず有能な人を登用したりしたのです。この大きく変化した人事が後に院政へと繋がっていきます。