歴史の舞台、応仁の乱伝承地。
応仁の乱勃発の地碑の特徴
応仁の乱発端地としての歴史的意義が深い場所です。
上御霊神社境内にある石碑には著名な揮毫が刻まれています。
御霊合戦についての知識を持って訪れると、より興味深く感じられます。
室町時代に足利将軍の後続問題も含めた戦い地、何も知らず歩いてる途中に石碑を見て、ここから勃発とは驚きでした。
お寺の中と外にそれぞれあるようです。私が着いた時にはお寺が閉まっていたので門の外にあるところの碑を見ました。マップでは中のところが表示されますので諦めないで探してください。
僕の史跡巡りの原点、「応仁の乱勃発の地」に来ました。神社奥の鎮守の森での小競り合いから、応仁の乱に発展したと言われています。これが10年以上続き、京都は焼け野原になったようです。遺構などはありませんが、「ココが始まりの地なのか」と歴史の妄想に耽るには良い史跡です。
教科書で習らった、応仁の乱の発端と思うと感慨深いです。
応仁の乱が始まる発端となった「御霊合戦」で、東軍が陣を構えた御霊の森がこの神社の境内です。
ここから応仁の乱が始まったと思うと意外と北側だな。
応仁の乱 御霊合戦跡。
応仁の乱の最初の戦闘が行われたところで、石碑の文字は、細川勝元の子孫である細川護煕元首相の揮毫だそうです。
神社の一画に石碑が建っているだけです「京都を歩いて歴史を感じる」をモットーにしている私の様な人には良いですが一般方には評価が低いと思う場所です。
名前 |
応仁の乱勃発の地碑 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒602-0896 京都府京都市上京区上御霊前町上 御霊 前 通 |
HP |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ka030.html |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

こちらをすこし下がれば相国寺。東軍の本拠地。勃発翌年、その相国寺の七重大塔が焼失。足利家によって創建された禅宗大寺院が足利家絡みの大乱で失われた皮肉。