青梅街道の隠れた癒し。
蔵敷熊野神社の特徴
蔵敷村の村長・内野氏の鬼門除けで建立された神社です。
青梅街道のバス停からすぐの場所に位置しています。
社の裏手には散策路があり、自然を楽しむことができます。
少し階段を登ったところにあり。街を見渡せます。神社自体はかなりひっそりとしていました。
縁起創立ともに不詳であるが、蔵敷の鎮守である。一説によると蔵敷一の素封家、内野家の祖秀勝が同家の鬼門除けに勧請したとも云われている。又内野家の伝えによると、同市蔵敷三六七に鎮座する厳島神社が永禄年間前後の創建と云はれるところから、同一時期に創建されたものとも考えられる。村山丘陵の南面、頂近くにあり、大正時代までは参道の階段は土段に杙を打って土留めをしてあったが、昭和九年にコンクリート造りに改めた。看板に沿って車で入るとUターン出来ない位狭いので注意。
青梅街道のバス停蔵敷と高札場が目印でそこからすぐに熊野神社の案内板が目に入り、脇道を行くと石造りの鳥居がありました。だいたい50段ちょっとの石段で竹林が風情あります。狭山丘陵にある神社なので登りきった高台の場所に鎮座しており、曇りだったせいもあり余計に神秘的でした。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神で天照大神や須佐之男命等沢山の神々を産んだ神様です。蔵敷熊野神社の創建は不詳ですが、伝承によると戦国時代にあたる1500年代、永禄年間頃に蔵敷で一番のお金持ちだった内野秀勝が悪霊退治に勧請したと伝わるそうです。右側に祠もあり、そのあたりから東大和市の街が良く見渡せました。
この辺りは良い神社が多い。青梅街道沿いで昔から栄えていたのだろう。
竹が綺麗です!
旧青梅街道から少し入ったところにある。御朱印なし。
創建年代は不詳ですが、内野秀勝が内野家の鬼門除けに勧請したとも云われています。また、江戸時代には蔵敷村の鎮守社だったと云われています。御祭神は伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)です。鳥居をくぐり、長い石段を登りきると拝殿に辿り着きます。高台の為、市内の景色を見渡す事が出来ます。綺麗な拝殿に力石、竹やぶの中には境内社(稲荷社)もありました。上北台駅から徒歩で約15分。駐車場はありません。
狭山三十三観音18番霊性寺から19番はやし堂への道中にて訪れました。街道沿いの狭山緑地の丘の上にあります。力石は、1つも動きませんでした。
旧青梅街道の蔵敷高札場の近くから少し奥に入ると、鳥居の向こうに階段がある。階段の横には、明治時代の改修工事の記念碑らしきものが残っている。記載は「維新明治十五年」。時代の人の「維新」の表現に何かを感じる。境内には神木や力石があり、末社が祀られています。
名前 |
蔵敷熊野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-344-0638 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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『狭山之栞』によれば,藏敷村の村長の内野氏の鬼門除けに建立されたという。境内には力石が三基目立つ位置に置かれている。常夜燈の台石に漢籍碑文あり。以下に私訳する。ここから】我々は伊勢神宮を詣りたく,伊勢までの路銀を積み立てることに決め,各々が銭を出して準備をした。しかし,数年してなお実現していないので,積み立てられた資金を使って,一基の燈台を造ることを計画した。これを村の神社の前に奉り,賽の神意に応えるものである。明治三年春。ここまで】お伊勢詣りは,江戸時代から昭和初期頃まで流行した当時の定番の旅行先であった。また,旅行としてはかなりお金の掛かる部類であったので,伊勢太々講などを結成し,講員の皆でお金を積み立て,順番にお伊勢詣りを向かわせることが普通であった。どうやら諸事情によって,伊勢に行くことが出来なかったのだろう。そこで積み立てたお金を使って石燈を造ろうという話になった,という話がこの漢籍碑文の内容である。以下,翻刻。翻刻】郷曲欲詣伊勢神庿計行路之資糧各出錢為準備于茲数年而其事不果也於是擧所積之資造一基燈臺奉城隍祠前以充賽神意云明治三年歳次庚午春社日里長内野敷隆謹誌。