大和朝廷の伝説、田んぼの中で。
玉清井神社の特徴
ヤマトタケル伝説が息づく神社です。
田んぼの中にひっそりと佇んでいます。
大和朝廷全国統一の歴史的な場所です。
ヤマトタケルが勾玉を井戸に落とし袖を浸したので、常陸(ひたち)となった伝説があります。しかし現在の井戸は昭和なって新しく造られた井戸で、本当の井戸は西に200mほどのバイパスのすぐ横にある井戸です。現在もありますが工事により水が枯れた為移さました。
見通しはいいですか、側道に入ってからちょっと道が狭いです。
田んぼの中にぽつねんとあり、神社への道も真横から入るという形で、ちょっと面食らいました。泉に置かれている日本武尊の像は、なかなか趣のある味わい深い物でした。
大和朝廷全国統一の伝説の地。大和朝廷がこの湧き水で顔を洗ったときくびから下げていたマガ玉を落としたそうです。それで玉を清めた。玉清井と呼ばれるようになった。
| 名前 |
玉清井神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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御祭神は倉稲魂命。創建は天明2(1782)年であり、干魃(天明の大飢饉)のあった際に江戸の妻恋神社(関東総司稲荷神社、やはり日本武尊由縁ですね)から分祀し、「永井戸神社」と尊称した。地図上には玉清井神社とありますが、拝殿扁額には「永井戸稲荷大明神」とあります。明治44年、当時の井上の氏子数が少なく複数の社を維持出来なくなったことから、1キロほど北に鎮座する井上神社に合祀されたわけですが、元宮である当社は、その井上神社からまた再分祀される不思議な経緯を辿っています。国道355号の北方、広々と田圃の広がるこの地。ポツンと鬱蒼とした鎮守の杜があり、日本武尊伝承の「玉清井」の傍らに真新しい社殿が鎮座していらっしゃいます。