古代の名所、橘郷造神社の涼しさ。
橘郷造神社の特徴
森の中に佇む涼しげな中規模の神社です。
日本三代実録に名を刻む由緒ある場所です。
落ち着いた雰囲気が心を和ませてくれます。
橘郷は、常陸国風土記に記載がある地で、橘郷造神社はその歴史の象徴的存在です周囲の土地名も、古代からの名称が多いです。
森の中のとても涼しい中規模の神社。手入れが行き届いている。(原文)Very cool medium size shrine in the forest. Well maintained.
珍しくもない良くある田舎の神社。
落ち着いた場所です。
日本三代実録 仁和二年六月廿八日丙子 郷造神。
名前 |
橘郷造神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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御祭神は弟橘姫命・木花開耶姫命。創建年代は不詳ですが,日本三大実録に「仁和二(886)年丙午六月二十八日,常陸国正六位上郷造神授従五位下」と記される式外社(論社)であり,創建はそれ以前ということとなります。日本武尊が東京湾を渡ろうとした折,荒波を鎮めんと妻の弟橘姫命が船から身を投げ,姫の笄が霞ヶ浦を遡って鳥塚(笄に無数の鳥が守護するかのように集まったことから)の地に流れ着き,さらに笄は羽をニョキニョキと生やして(羽生の地名の由来)がビューンと北東に飛んで当地に落ち着いたことから,村人達が社を建立して「橘の宮」とし,地名を笄崎としたそうです。吾妻鏡には源頼朝がこの地「橘郷」を鹿島神宮に寄進したと記録されています。県道360号線沿いに平行して長い参道が並行して見え隠れしていますが,道路建設時に鎮守の森がかなり削られてしまったそうです。しばらく南下して,やはり正参道の入口から参拝することとしました。が,入口にあった彫刻家・宮路久子氏による「弟橘姫命」像が平成29年にコソ泥にコソコソと盗まれてしまったそうで,台座(と行方警察署への情報提供を求める看板)が残るばかり。コソ泥の天罰も祈ることにして,長い参道を進んでようや境内へ。拝殿は比較的近年に再建されたのでしょう。市指定文化財の御本殿も古くは見えませんでしたが,拝殿再建時にかなりの修復がなされたのかもしれません。意外にさっぱりと整備された境内の様子は,逆に当社が相当な古社であるのが不思議に思わせるくらいでしたが,参道の長さ(長いにはそれなりの理由があるものです)がその証でありましょう。(2020.5記)