夜刀神社で静けさを味わう。
天龍山愛宕神社の特徴
夜刀神を祀る神社で、歴史ある御祭神が魅力です。
拝殿横には夜刀神社と素鵞神社があり、参拝ルートが多彩です。
美しい自然の中に囲まれた、ひっそりとした静かな場所です。
御祭神は夜刀神・火之迦具土神。享禄2(1529)年,常陸大掾氏の族である玉造城主・玉造憲幹によって勧請され,夜刀神社に合祀したところ,いつの時代からかは不詳ですが,愛宕神社が主となってしまったそうです。日本全国津々浦々に愛宕社や秋葉社があるのは,火事がひとたび起きれば,火消が屋根に登ってワッショイワッショイ纏を振り立て,命がけの破壊消火をするしかなかった時代,火防の神の重要性は現代人には理解出来ないくらいだったのでしょう。当社は,初めは,当地から200mほど南方の古愛宕と呼ばれる地に鎮座していらっしゃったが,光圀が椎井(天龍の御手洗)の上の台地に遷座させて,近くの天台宗寺院だった天龍院の支配においた。地図で天龍山愛宕神社とあるのはそのせいです。昭和49年に境内による夜刀神の碑が建立され,さらに近年には地元住民有志によって,愛宕神社社殿右側に夜刀神社の社(祠)が建立されました。以上のように本来は当社自体が夜刀神社でありますが,隣に夜刀神社が造営されましたため,詳しい伝承はそちらのクチコミに書かせていただきました。
愛宕神社は、箭括氏麻多智という豪族が夜刀神を祀った社の後身であると伝えられます。なお夜刀は”やと”と読み、関東地方の方言で谷間、谷合を意味するそう。現に霞ヶ浦周辺の谷間の湿地には蝮などの蛇類も多いため、夜刀神は土地神としての蛇神であると見られています。 素鵞神社にて御朱印を頂きました。
この場所ですが、とても分かりにくい所にあります。スマホのナビを使い、向かったのですがなかなか目的地に着く事が出来ませんでした。標識も分かりにくい場所に一箇所だけでした。斜面を登ぼると、ここに到着するのですが、路面には落ち葉がたくさんあり、とても滑りやすくなっていて、登りはまだ良かったのですが帰りは、滑っと転ぶのではないかと、とても不安でした。愛宕神社の隣接した所に夜刀神社があるのですが、どちらも人がいない為、御朱印はありませんでした。
梅雨の合間を縫って7月の下旬に椎井池から石段を登って訪れました。樹々に覆われていて薄暗い中、濡れ落ち葉などがあってとても滑りやすく、一歩一歩十分注意して登りました。お社がだいぶ老朽化している印象うけ、足元も一部はぬかるんでおり、第一印象は(失礼ながら)忘れられている場所なのかなと感じてしまいました。(愛宕神社の神様ごめんなさい)愛宕神社の隣には夜刀神社の鳥居とお社がありました。蛇嫌いの私は、どうにも不気味さを感じて、お参りもせず早々に山を下りました。(夜刀神とは椎井池では蛇の事だそうです)
登るのが大変かな、拝殿横に夜刀神社→素鵞神社で📖いただけます。
夜刀神を祀る神社。小さな池から水が湧き出ています。たまたま地元の方に出会いお話を伺ったら、以前はボコン、ボコンと水柱ができるほど勢いよく湧き出ていたとか。松を切ったせいとかなんとか言っていたかな。行方は畑が多いのですが、この神社の周りは田んぼが広がっています。古来、ここに住んでいた方々を思いながらお参りさせてもらいました。道が狭く、初めて来る方は迷うと思いますが、入れ替わり立ち代わり地元の方々が気軽に訪れていて、地域になじんだ神社だと感じました。
いまは、椎井の前に道路も駐車場もありますが、かつては道路反対側の山上から一度谷に降りてから再度愛宕神社に登るように参拝していたようです。反対の山上 集落の端に愛宕神社の鳥居があります。
来てみないと分からないから静かで綺麗とだけ言う。
ひっそりとした場所にあります。小人さんがいました(夜刀神)湧水が出ていました。
名前 |
天龍山愛宕神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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仁王2やデビルサマナー等のゲームにも登場する「夜刀神」を鎮めるために創建された夜刀神社があります。場所は狭隘な道路を山奥の谷に進んだところに鎮座していますが、大通りから何カ所にも案内板が出来ており、見落とさなければ、容易に到着可能。神社への入り口には湧水があり、箭括氏の麻多智又は壬生連麿と思われる甲冑を着た武人の銅像が、夜刀神がいる泉に向かって威嚇している。歴史・呪術的なロマンを感じさせてくれる素晴らしい場所。ようやく参拝することが出来、感無量です。ただし、お社への坂道は急なスロープなので、特に雨上がりだと濡れ落ち葉で転倒する危険性があることから、十分な注意が必要だと思います。