小幡城の壮大な迷路空堀!
小幡城跡の特徴
小幡城の空堀は迷路のように張り巡らされ、訪れると圧倒的な景観を楽しめます。
土塁は高さがあり、横から見上げると不思議な感覚を味わえる素晴らしいスポットです。
整備された駐車場のおかげで、茨城県内屈指の中世城郭を気軽に訪れることができます。
小幡城は、戦国時代に水戸城の江戸氏の重要な支城として築かれ、小幡氏が城主を務めました。築城年代は不明ですが、15世紀の遺構が確認されており、この頃に築かれたと考えられています。1590年の小田原征伐の際、江戸氏が豊臣秀吉に参陣しなかったため、佐竹氏の攻撃を受けて落城しました。城跡には空堀・土塁・櫓台・変形武者走りなどが複雑に配置され、東日本屈指の中世城郭遺構が良好に残されています。本丸に残る井戸には、金の鳥を抱いた姫が身を投げたという伝説も残されています。現在は整備された史跡として一般に公開されていますが、裏から二の丸に回ると整備されていない一角が残っていて、さらに衝撃的な光景が広がっています。
空堀跡が素晴らしいですさっと見るのであれば20分位あれば大丈夫です立ち入り禁止エリアがそこそこあるのでそこの整備と案内板をもう少し充実されていたらなお良かったです大手門あたりにも行きましたが痕跡はわかりませんでした。
噂以上の薬研堀に感動しました。群馬の真田の名城・岩櫃城の薬研堀もすごいと感じたが、そのものより倍の高さがあった。移動制限があり細部まで攻め込めなかったが素晴らしさは伝わる。是非行ってもらいたい。
県内で最も魅了される城郭の一つです。駐車場から登城口に立った瞬間のインパクトは絶大。見事な要塞ですが、かつては二郭や主郭には城主や家臣たちが住居されてたそうな。高土塁に囲まれた堀底が道になっており、常に土塁の高さに圧巻されます。元々は歩いている堀道を当時の鬼土木作業で掘ったのでしょうが、県内でこれほど凄い防衛システムは中々見れませんね。土塁上も踏跡があり、土塁に登ると守り手の視界で更に興奮します。整備されてない外郭部は広大な曲輪になっており、木々が生い茂り中々厳しいですが、整備された場所だけでも十分見応えがあります。周囲を散策してた所、近くの修理工場の方にお話を伺い田んぼ向かいにある雑木林の中にも同じような土塁と堀で固められた防衛システムが竹藪の中にありました。小幡城外郭防衛ラインは薬研堀です。小幡城先の「小幡城」看板の裏に遺構があります。小幡城周辺を取り巻く雑木林にも遺構があるので藪好きにはたまりませんよ。9月中旬、まだブヨや藪蚊が襲撃してくるので、長袖長ズボン、滑りにくい靴と虫よけは必須です!土塁上は大概の場所があるけますが、10m近く高い場所もあり、降りる場所を見つけておかないと先端部で袋小路になります。強引に降りようと7m程の高さを滑落しましたが土だったので助かりました。また枯葉の時期に散策したいですね♪外見はただの雑木林なのに中身は別世界…素晴らしい城跡です。オススメは登城口から入り込み、変形武者走り経由→本丸と散策路右回りで進むのがスムーズです。私は大手門裏の七の郭、又は四の郭の土橋から入るのが好きですが、2025/1現在立入禁止区域も増えてしまいました。
城好きの間ではとても有名な小幡城。初めて訪問したが噂に違わぬ素晴らしい城だった。徹底的に堀底道を歩かされる特異な城で眺望が全く効かないため案内板がなければどこを歩いているのかわからなくなる。普通に歩くとそのまま城外に出ていってしまうようにつくられているらしい。過去に多くの城を訪問したがあまり似たような城に行った記憶がない。この特異な縄張りの城は誰によって築かれたものであるか不思議である。小幡城は小幡氏→江戸氏→佐竹氏と城主が移り変わったのてそのいずれかであろうが他に似た城がないのも不思議である。小幡城は訪問前に多少の予習をし、歩きながら縄張り図を確認したほうが良いだろう。何も知らずに来るとただただ眺望の効かない薄暗い道を歩いただけといった印象になりかねない。目立つ遺構は何もないから余計にである。小幡城は迷路のような堀底道が張り巡らされ、各郭はすべて頭上にあり、またその各郭の切岸は非常に鋭い。攻め手は常に頭上の郭から攻撃を受ける形となる。平地にある平城としては大変高い防御力を持った城である。その代わりとして延々と堀底道を掘ったその土木量は想像を絶するものである。城主が有名ではないためマイナーな城であるが、ぜひ一度訪れてもらいたい城である。
広い駐車場(無料)がありますトイレはありません城跡は整備されてます案内板が設置されているのでわかりやすいです(立ち入り禁止の場所もあります)ゆっくりまわっておよそ60分です(土塁上歩いたり、土橋から外側に出たりしてます)高低差はありませんが城域に一歩足を踏み入れると高さのある土塁で見通しがきかず迷宮に迷い混んだようです!入口から吸い込まれるように堀底を歩きます両側にそりたつ土塁空堀が迷路のように張り巡らされていて方向感覚を失います案内板に従って進んで本丸にたどり着きました案内板が無かったら空堀に迷い混み、あっという間に討ち死にしそうです😨土塁上を歩くとその高さを実感できますこの土塁を土木工事で作ったとは脱帽ですものすごい土木量のお城です以下、案内板より抜粋小幡城は戦国時代の文明年間(1481年頃)以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入ったそうです現在の城域が整備されたのは、元亀~天正年間 (1570年代)と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点 として重要な役割をはたしていました安土・桃山時代の天正13年(1585年)の書状には 小幡城将として大塚弥三郎と小幡孫二郎の名が見え、このころ城の守りを強化するため、沼周辺の土豪が当番制 で動員されているそうです天正18年(1590年)12月、豊臣秀吉の権力を背景にした太田城(常陸太田市)の佐竹義宣により、水戸城 の江戸氏は城を奪われ、府中城の大掾氏は滅亡、この時小幡城も落城したようですその後、(慶長7年,1620年)まで佐竹義宣の直轄地となり、家臣の和田昭為が管理していたといわれますが、天正18年の落城、あるいは佐竹氏の移封の時に、数百年にわたる歴史的役割を終えたと考えられるそうです。
空堀が凄い城趾です。夏場は、虫除け必須です。
平地にある土の城として是非とも観ておきたい城跡だ。車なら駐車場も広く安心して行ける。公共機関は難易度高く、水戸か石岡から茨城町役場(『奥の谷』バス停)までバスで向かい、4キロ弱を徒歩で向かうのが確実。遠景でも明らかで、標高差が無い平らな丘に築城されている。高い土塁、深い堀を備えなければとても守れない。全ての郭を見て回れないが、本丸迄の堀底道を歩いて攻め手の気分を満喫して欲しい。
見事な土塁です。こんなに小さな城跡なのに、につかわないとても深い空堀と高い土塁。これ程高い土塁は珍しい。それが迷路になっていて、小さい城なのにどこを歩いているのか分からない。一周写真を撮りながら30分ほどででてきたが、どこを通ったのかわからないほど。数百人の軍勢なら攻め手は攻め切れないと思える。昔はやった巨大迷路の土塁版で、お城巡りの入門には是非オススメ。ただし、虫よけを丁寧に塗っても、カメラを構えた手が刺されるほどの蚊の多さなので、全身防備が必要かもしれない。
名前 |
小幡城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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空堀がすごい。見やすく整備されていて、感謝。こういうの、城好きには本当にありがたい。