牛渡牛塚古墳、歴史の息吹。
牛渡牛塚古墳の特徴
霞ヶ浦湖岸に面した直径約30メートルの円墳で、静かな雰囲気を楽しめます。
5世紀後半に築造された神話を持つ牛渡牛塚古墳の伝説が感じられます。
近くには日本一美味しい蓮根が栽培されている蓮田があります。
牛塚古墳のいわれは、牛と牛の飼い主が対岸(現在の美浦あたり)になか睦まじく住んでいました。ある時、牛の飼い主が用事があり対岸の牛渡付近に来ていました。牛は飼い主と離ればなれになるのが寂しくて泳いで霞ヶ浦を縦断しました。着いて飼い主に会えたところが牛塚古墳の場所。やっとの思いで泳いで渡り飼い主に会うことが出来ましたが、牛は疲れはてその場で息をひきとりました。それを哀れに思い飼い主が塚を作ったとされています。この牛塚古墳があるところの地名が『牛渡』となっているのは、「牛が霞ヶ浦を渡った」ところから名付けられたと言われています。
現地の解説板より引用します。「霞ヶ浦沿岸の低地、房中集落の西に位置し、市内の最も低いところにある古墳で、形は円墳です。常陸国府に下向途中、この地で亡くなった勅使を慕って泳いできた牛が力つきてこの地で亡くなり、地元の人々がこれに感動して塚をつくり牛塚と名付けたという伝説があります。5世紀に築いたものと推定されています。」この伝承が旧・牛渡村の地名の由来であり、南向きに鳥居、そして墳丘途中の祠には観音様が祀られていらっしゃいますが、牛司大権現を祀っているとも云われます。
5世紀後半の築造と言われています。五畿七街道の時代で古道東海道が敷かれた時代のもの。古道東海道は京都から常陸の国府への官道であり、東海道53次の東海道のはるか昔に存在した道路でした。奈良時代にはすでに廃れて消失していますが、古墳や地名などにその名残を見ることができます。この古墳にはその古道東海道にまつわる伝説が語り継がれています。この土地は個人所有地ですが立ち入りは自由です。(所有者の確認済)
直径約30メートル、高さ約4メートル、埴輪の破片も見つかっている5世紀前半築造の円墳です。現地の解説板に、常陸国府へに下向途中、この地で亡くなった勅使を慕って泳いできた牛が力つきてこの地で亡くなり、地元の人々がこれに感動して塚をつくり牛塚と名付けたという伝承について書かれています。古墳の周辺には蓮田が広がり、南には霞ヶ浦!景色も最高ですよ。駐車場はありません。ご注意下さい。
対岸の美浦村牛込との縁が神話のように伝説として伝わる牛渡牛塚古墳。一の瀬川を越え男神の坂を登り左に行くと男神神社、道なりに西に行くと上大堤牧ノ内という場所に辿り着きます!
千葉県から茨城県にかけてこのような古墳が沢山あります。昔から多くの人が住んでいたと考えながらサイクリングを楽しむのもありですね。
霞ヶ浦周辺にたくさんある古墳のひとつ目標をここに定めて来なければ通り過ぎてしまうような場所でありひっそりと存在しています。ざっくり考えても1000年以上前のもの。すごいよね (*´˘`*)
近くに蓮田があり、日本一美味しい蓮根が栽培されています。
| 名前 |
牛渡牛塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
029-896-0017 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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霞ヶ浦湖岸に面した微高地に築造された直径約30m、高さ約4mの円墳。筑波大学考古学研究室による墳丘測量調査が行われており、採集された壷形埴輪の破片などから5世紀初頭の築造と推定されている。本古墳には、都から常陸に向かう勅使を乗せてきた牛が、対岸から舟で渡った勅使を慕って泳いできたが、力尽き、地元の人がこの塚を築いて葬ったという伝説が伝わっている。かすみがうら市の史跡に指定されている。