天徳寺墓地近くの梅花社が誇る!
篠崎小竹墓所の特徴
天徳寺内に位置する篠崎小竹墓所は、歴史的な場所です。
創設者の儒者篠崎三島が学び舎梅花社を開いた地でもあります。
加藤金吾を育てた私塾の跡地として価値が高い場所です。
儒者篠崎三島(さんとう)が開いた私塾梅花社に、9歳から門人であった加藤金吾(1781-1851)がいた。その才能は特に秀で、寛政5年13歳のとき乞われて三島の養子になった。後の篠崎小竹である。寛政10年(1798)18歳のとき、江戸から帰郷途中の頼山陽(19歳)に出会い、刺激されて翌年江戸へ遊学した。天保2年(1831)養父と同じ梅花社を開いた。塾は隆盛を極め、門人は約1,500人にもなったという。
私塾「懐徳塾」と並び称せられた「梅花社」の 創設者。
名前 |
篠崎小竹墓所 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6351-7709 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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