長堀川の歴史を感じる。
大阪木材市売市場発祥の地の特徴
昭和36年に近くで高校生活を送った思い出の場所です。
元和末年から続く歴史を感じることができる場所です。
グリーンロード内で、ゆったりとした時間を楽しめます。
昭和36-38年、自分が近くの高校生だったころ、この長堀川にはまだ材木が浮かんでいた。いまは材木も、長堀川も、川の横を走っていた市電の姿もない。その長堀川跡地のグリーンベルトに一本の石碑が残るのみ。
元和末年(1622)の頃土佐藩の申請によって材木市が立売堀川で始まり、やがて土佐藩が蔵屋敷を白髪町にかまえると西長堀川でも材木市が許可される事になった。土佐ばかりでなく、日向、紀州、阿波、尾張など全国各地の材木が集まりしだいに川の両岸には全国各地の材木を扱う店が軒を並べるようになり、西長堀橋南詰から富田屋橋、問屋橋、白髪橋にかけての浜側は、江戸時代から昭和にいたるまで、年中材木市が開かれてた。戦後、長堀川は水質の汚染が進み舟運の利用も減少したため昭和36年から同37年にかけて東横堀川から四ツ橋間が埋め立てられ、また昭和四十二年から同四十六年にかけて四ツ橋から木津川間の西長堀川も埋め立てられた。今でも北堀江の東側には、材木商の看板があちこちに残っている。
グリーンロード内にあるのでゆっくりと見れます。
元和末年(1622)の頃土佐藩の申請によって材木市が立売堀川で始まり、やがて土佐藩が蔵屋敷を白髪町にかまえると西長堀川でも材木市が許可される事になった。土佐ばかりでなく、日向、紀州、阿波、尾張など全国各地の材木が集まりしだいに川の両岸には全国各地の材木を扱う店が軒を並べるようになり、西長堀橋南詰から富田屋橋、問屋橋、白髪橋にかけての浜側は、江戸時代から昭和にいたるまで、年中材木市が開かれてた。 戦後、長堀川は水質の汚染が進み舟運の利用も減少したため昭和36年から同37年にかけて東横堀川から四ツ橋間が埋め立てられ、また昭和四十二年から同四十六年にかけて四ツ橋から木津川間の西長堀川も埋め立てられた。今でも北堀江の東側には、材木商の看板があちこちに残っている。
名前 |
大阪木材市売市場発祥の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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江戸時代から昭和の時代まで、ここに川が流れていて、舟で材木を運び込んでいた、賑わいのある材木市場があったとは、まったく想像できません。今は、かつてあった橋の碑が残る遊歩道になっています。