日本一の恵比寿様、布施で参拝!
布施戎神社の特徴
布施戎神社は日本一の恵比寿様がいる神社です。
近鉄布施駅からすぐ、商店街近くに位置しています。
十日戎の時期には多くの参拝者で賑わいます。
のこり戎で伺いました午前中は人もまばらでゆったりと参拝できます、金福笹と開運シールを頂き今年も無事に過ごせればと思います(*^◯^*)
大きな恵比寿様がいてるよ〜斜め前のえびす湯♨️はおススメ!
今宮戎、縁起やはり悪かった…直後に大好きな叔母が急逝。今宮エリアは危険な地域と近所の人から釘を刺されてたのに…やっぱり行ったら駄目だったな以後ほぼ東京に戻らされ半年、本格退去も検討してたら急きょ天神橋に戻ることに。諸悪の根源の今宮戎なんちゃら文句を言っていたら、事務所の贔屓のオジサマ曰く「もっと濃ゆい戎っさんあんで!行くで!」聞き慣れぬ大阪弁、いえ河内弁⁉️で説明され興味本位で付いて行くと、一目瞭然「塩じい!」布施戎神社の入り口に名前を見つけて驚き‼️歳バレするけど😅JC華やかなりし頃、小泉進次郎パパ純一郎総理が叫び、そのテレビを見てママが叫ぶ😆、そんな夕食にジイジが解説してくれたのが総理を支える塩川正十郎。ジイジと慶應義塾ちょっと先輩後輩らしくて、塩じい地元の東大阪市での我田引水な秘話も教えてくれた。その場所は戎さまから少し曲がった先を…ま、大阪への偏見が生まれただけだけどね一応お参りした布施戎。ちょっと時期ハズレ、時間ハズレ、でも建物は新しい?ので気分良く邪気払いできたかも良しとします。今度こそ!と言っても今年は半年しか残ってないけどね。
この地は、村の氏神として都留弥神社(祭神 速秋津日子神・ 速秋津比売神)がまつられていた。江戸時代後期の「河内名所図会」(浮世絵集)に、そのことが記されている。明治18年(1885)の淀川大洪水により、神社は、神殿・宝物・古文書などすべてを流失したが、村民の手により再建した。明治40年(1907)から始まった、神社合併政策により、近隣の荒川・長堂・岸田堂などの 神社と合併させられた。東方約1kmの現境内地に移転し祭られているのが、現・都留弥神社である。この時より、民有共有地として保管されていた。しかし、地元の要望に従い、昭和29年(1954)西宮戎神社から、「戎神(えびすさん)」の分身に、この地に来ていただいたのである。これから、布施戎神社の祭祀が始まった。更に、周辺地域が商業地として発展するにともない、 昭和63年(1988)に、大阪の今宮戎神社からも、えびすさまにお越し頂いたのである。参拝者も飛躍的に増加し、毎年1月9日、10日、11日の十日戎には商売繁盛を願う参拝者が群れをなすようになった。境内地は身動きができないほどの、賑わいとなっているのである。
近鉄布施駅前の商店街から少し入った場所にあります。布施のえべっさんで親しまれています。1月10日は賑わいますが、普段は静かです。日本一大きい戎さんの看板がありますが、本当に大きいです。
近鉄奈良線布施駅にある、布施戎神社さん。フラワーロードの筋を入ったところにある小さい神社ですが~毎年恒例で9日〜11日の間に必ず参ります。違うとこで福は落とさず、参ったら置物を購入し直ぐに帰りますよ~♪
近鉄布施駅からすぐのえべっさんで有名な神社です御朱印もらいに行きましたがなかったようです。
日本一の恵比寿さん…は、納得。確かにデカい、大迫力。しかし、ただの週末に行くなら…。地元であれば、大切なえべっさん。参拝してる方も複数人いましたが。…御朱印も、行事の時なのかな…。
めっちゃ住宅街。駐車場なし。恵比寿様は立派でした。
名前 |
布施戎神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6728-1601 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

2/1に訪れました近辺には「えべっさんの街」の幟や看板がありましたが、タイミングが悪かったのかお昼頃に訪れた際には神社の社務所などシャッターが降りており御朱印を頂こうとおもっていたのですが頂く事はできませんでした。最寄り駅は、近鉄大阪線、奈良線「布施駅」になります布施戎神社のえびす像は本で一番大きいと言われています。毎月9日から11日 周辺の商店街、近鉄百貨店ではえべっさんセールが開催される様なので機会があれば、再度訪れようと思います。