家康の休憩所跡で歴史を感じる。
御茶屋御殿跡の特徴
徳川家康が利用した鷹狩りの休憩所跡地です。
御成街道沿いに位置するパワースポットとなっています。
春の桜の時期はお花見が特におすすめの名所です。
将軍家ゆかりの御茶屋御殿は上洛の際に使われた物を含めると、結構あります。その中でも比較的整備や調査が進んでいて、見学がしやすいです。近くのお寺に御茶屋御殿の表門、裏門と伝わる門が残っています。
徳川家康が東金への鷹狩りのために休息所として造営したものです。このような御殿は千葉市のほかに御成街道の起点である船橋に「船橋御殿」、 お狩場である東金には「東金御殿」が設営されましたが、 寛文年間(1661~72)に取り払われて、 その跡地も現在大きく改変されています。この御茶屋御殿もほぼ同じ頃取り払われたものと考えられますが、跡地は良く旧態を止めています。御殿跡は一辺約110mの方形で、周囲に幅約5mの薬研堀の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし、南北2ヶ所に出入口があって、その内側に桝形土塁が構築されていました。内部の遺構については発掘調査により、主殿と思われる基壇部分のほか、長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他、 17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されています。【現地案内板より抜粋】御成街道から約10間北側、はっきりとした薬研堀と土塁によって、徳川将軍家の威光がうかがい知れます。薬研堀は、落ち葉などの堆積によって、堀底がだいぶ平坦になってしまっていますが、土塁とのセットで、単純ながらも高度な防衛力となっています。雑草が生い茂っていますが、見学路の草刈りはしっかり行ってくれています。
徳川家康が鷹狩の際に休憩した御茶屋御殿屋敷跡…いまは何もない原っぱですすっげぇ、テント張ってキャンプしたいと思ったけど、一応文化財だからだめなんでしょうねぇ。
雑木林と草っ原みたいになっていますが、土塁や薬研堀の空堀が残っています。
もう少し早い時期に来れば銀杏の木が綺麗だったかも。
御成街道沿いのパワースポット。
徳川家康が東金に鷹狩りに行く際に利用した御殿跡。正方形に土塁が巡らされており、空堀も当時は薬研堀だった跡が垣間見える遺跡です。
御殿跡のすぐ南に東西に走る道路が東金御成街道であり、徳川家康が東金に鷹狩りをするためにつくられた。その途中に休息所として建設されたのがこの御茶屋御殿だ。目立つ看板等はないが、東金御成街道沿いに標柱が立っている。この標柱の立っている所から林の中に入ると説明板もある。明確な駐車場はないが説明版の前が空き地になっているので駐車は可能。そこから北へ林の中を進むと土橋、空堀、土塁が良好な状態で残っている。南北の入り口には枡形の土塁もあったようだが、それは完全に取り払われている。内部は腰から胸にかけて雑草が茂っているだけで何もない。見学のためにか、中央部まで細く通路状に草が刈られているほか、若干荒れ気味だが土塁に沿って四方も草が刈ってあった。私は城郭跡の散策が好きだから、深い堀と高い土塁に感激したが、そういうものに興味がない人にとっては☆1すら評価する気にはならないだろ。大多数の人からすればちっとも興味が湧かないだろうし立地的にも公園等に活用できるものではないが、それでも雑草を刈り維持管理してくれていることに感謝したい。(欲を言えば、空堀内の雑草をもっと取っ払ってもらいたいけど)
徳川家康が鷹狩りの為の休憩所としてお茶屋御殿を造営。千葉市の他に御成街道の起点となる船橋御殿、東金御殿が設営された。1661年~1672年に取り払われたが、お茶屋御殿もほぼ同じ時期に取り払われたようであるが、跡地は旧態をとどめている。敷地は約3600坪あったとのこと。
名前 |
御茶屋御殿跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
HP |
https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/ochayagoten.html |
評価 |
3.2 |
周辺のオススメ

形や土塁・堀跡はあるもののただの広場だった。