室町時代の美、鳳来寺観音堂。
鳳来寺 観音堂の特徴
茅葺き屋根が美しい鳳来寺観音堂は国指定文化財です。
室町時代からの歴史を感じる、立派な小さなお堂です。
自然豊かな場所に佇み、雰囲気が時を超えています。
質素ですが、美しい!良いです。
鳳来寺観音堂は、かつては善福寺の建物であり、現在地から西約150メートルの場所にありました。善福寺は、 南側の山上に築かれた吉沢城を鎮護するための寺であったといわれています。吉沢城は、北東約1.2キロメートルにある平蔵城の支城として築かれたとされており、平蔵城主であった土橋氏一族の、土橋忠勝の居城と伝えられています。明治16年(1883年)に、 善福寺が曹洞宗の麒麟山鳳来寺に合併され廃寺になってからは、 鳳来寺の観音堂となりました。昭和6年 (1931年)に国宝に指定され、 昭和25年に法制定に伴い重要文化財となりましたが、 荒廃が著しかったため、 昭和41年に解体修理が行われ、その際に善福寺旧地から現位置に移されました。堂の平面形は、 桁行・梁間とも三間のいわゆる三間堂で、 屋根は単層の茅葺寄棟造の建物です。内部の正面には一間幅の来迎壁があり、 その前面に建築当初の須弥壇が置かれています。柱は粽柱で、周囲に切目縁をめぐらし、軒は二重の扇垂木で、二手先詰組を用いています。内部の架構や軒回りの組物には禅宗様の特徴が見られ、国指定重要文化財の西願寺阿弥陀堂とならび、 室町時代後期を代表する建物です。【現地案内板より抜粋】たまたま看板見掛けて立ち寄り。元は衰退し、後に鳳来寺に合併された善福寺の堂宇。観音堂裏手が、平蔵城の支城:吉沢城跡。平蔵城跡と西願寺阿弥陀堂吉沢城跡と鳳来寺観音堂 を、セットに。
もとは善福寺のものでしたが、明治16年に鳳来寺に合併され廃寺となってからは、鳳来寺観音堂となったものです。口伝によれば、善福寺は土地の豪族土橋平蔵の居城鎮護のための寺であったといわれています。堂は正面3間、側面3間、周囲に切目縁を廻す茅葺の寄棟造りです。柱は円柱で上部を細く丸めた「粽」という唐様形式をとり、軒は二軒、扇垂木、二手先詰組となっています。昭和41年の解体修理の際に現在の位置に移築されましたが、善福寺には今も礎石が残されています。建築年代は西願寺同様室町時代後期と推定されています。国指定重要文化財です。
室町時代から焼失などせず現在まで残っている国指定文化財。裏山にはかつて吉沢城があり、山の北端にあった善福寺境内に建っていたそうです。城は豊臣秀吉によって滅ぼされましたがこの観音堂はなんやかんやで現代まで生き残り、現在の場所に移設されました。屋根は定期的に葺き替えられているようできれいに維持されています。里山に囲まれた茅葺のお堂は何故だか懐かしい気持ちを想起させてくれました。
昭和6(1931)年に国の重要文化財に指定された『鳳来寺観音堂』、古くはこの地域の豪族であった土橋平蔵が居城鎮護のために建立したとされる西におよそ130mの善福寺の境内にあり、明治16(1883)年に善福寺を合併し、麒麟山鳳来寺と号した際に、境外仏堂として残された観音堂です。本観音堂の建築年代は、同じく国の重要文化財に指定されている近隣の『西願寺阿弥陀堂』と同様の室町時代後期と推定され、その後、昭和41(1966)年から42(1967)年にかけて行われた観音堂の解体修理に併せて、現在の位置に移築されました。道路対面(東側)にある鳳来寺境内に駐車し、セットで参詣しました。
平蔵にある西願寺観音堂とセットのパワースポットです。あたりに集落はありますがほとんど人気がありません。古い重要文化財なのですね。
観音堂の周りは綺麗に手入れされていますね。
小さなお堂です。気をつけないと見逃します。公共の駐車場が無いので公共交通機関の利用が前提です。サイクリングなどでついでに訪れるのが良いのでは。
何度か訪れていますが、たまたま地元の方が掃除をしており観音堂の中を見せていただきました。興味ない人にはただの古い建物ですが・・・
名前 |
鳳来寺 観音堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
043-223-4082 |
住所 |
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HP |
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n111-010.html |
評価 |
4.3 |
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茅葺きでシンプルで良いです。近くに無料駐車場あり、トイレはありません。近くの隧道散歩の為に停めさせていただきました。