波の伊八の彫刻、直ぐ観れる!
光厳寺の特徴
波の伊八(初代)の彫刻が本堂内に見られます。
汚れたガラス越しに彫刻を確認できる貴重な体験です。
開帳の際には、伊八の立派な作品を間近で楽しめます。
彫刻は汚れたガラス越しなので良く見えません。
山号を泰長山、院号を東光院と号し、大日如来を御本尊とする真言宗豊山派の寺院で、建武2(1335)年に僧・覚知を開基として創建、延宝8(1680)年に法印・良秀師の中興開山とされ、明治維新(1868~1889年)までは高瀧神社(旧加茂明神)の別当寺を務めていました。市原市の有形文化財(彫刻)に指定される『光厳寺本堂の欄間彫刻』は、『波の伊八』と呼ばれる初代伊八・武志伊八郎信吉(1751~1824年)の作で、本堂欄間中央に『波に龍』、向かって左側に『寒山』、右側に『拾得』が配置されます。同じく市原市の有形文化財(彫刻)に指定される『両界大日如来坐像 二軀』『不動明王坐像 一軀』が安置され、これらの造像期は前者が鎌倉時代後期もしくは南北朝時代頃、後者が室町時代と推定されます。隣接する大和田青年館周辺に広い駐車スペースあります。
伊八の作品が屋内なのですが、常駐寺ですはないので、見ることはできません。
波の伊八の作品は本堂の中に有ります。本堂の中に入る事が出来なかったので窓越しに見る事になりました。
開帳してもらえば、普通に見られるでしょうけど、外からでも、何とか本堂内は確認できて、伊八の立派な彫刻も、坐像も見られはするので、まあまあよいかなと。車は入り口から登れば、停められますが、門がないので、少し解りづらいです。
波の伊八(初代)の彫刻が、直ぐに見れます。お寺は凄く小さいです。
伊八が、すぐ見れます。
名前 |
光厳寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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市指定文化財(彫刻)光厳寺本堂の欄間彫刻光厳寺本堂の正面に取り付けられ た欄間彫刻は、三面で構成されています。中央の「波に龍」は、波間に身を躍らせて宝珠を握る龍の姿が立体的に彫られています。龍の口内には赤彩が残り、保存状態は良好です。「波に龍」の左右には人物像の欄間が配置されており、向かって左側の経巻を持っている人物が「寒山」、向かって右側の箒を足元に置く人物が「拾得」です。二人は中国の唐代の詩僧です。中央の欄間の裏側に銘が刻まれており、江戸時代の彫物大工、武志伊八郎信由(初代伊八)によって彫られたものであることが分かりました。初代の武志伊八郎信由は、その技量に優れ、中でも迫力のある波の彫刻は伊八の作品の特徴で、このため「波の伊八」と呼ばれています。市指定文化財両界大日如来坐像 二軀不動明王坐像一軀金剛界大日如来坐像は、像高一・〇四メートルで、智拳印を結ぶ。下膊には、両条の銅製環釧をつけ、環瓔珞は、銅製で硝子玉をつける。胎蔵界大日如来坐像は、像高一・〇五メートル、法界定印を結ぶ。瓔珞や環釧は欠失する。両像とも漆塗りで、髪上には宝冠をいただき、宝冠には、五如来の木彫小像をのせ、正面、左右には、日天、 月天及び宝珠をつける。また、両眼を半眼に閉じ、微笑を含む。造像期は、鎌倉後期か南北朝頃と推定される。不動明王坐像は、木造寄木造で、像高八八センチ、布張り漆塗りである。眼は、玉眼で右眼を開き、左眼を閉じた天地眼といわれる面相をしている。胎内に奉籠願文と胎内仏を蔵し、造像期は、室町時代と推定される。【現地案内板より抜粋】ツーリング帰り、通りがかりに看板を見掛け立ち寄らせて頂きました。小さいお寺ながら、本堂内は見どころ満載。初代伊八も勿論のこと、両界大日如来坐像は一見の価値有り。