歴史感じる花園橋の街。
大阪市電創業の地碑の特徴
平成元年に建立された大阪市電創業の地碑が存在します。
明治三十六年に開業した大阪市電の歴史を感じられます。
みなと通りと九条商店街の角に位置していてアクセスが便利です。
みなと通りの脇に有る。ぽつんと碑が建ってるのみ。此処が目的でなければ、気付かず通り過ぎるぐらい。
花園橋は子供のころから地元の街だ。この前の道路を市電が走っていたのはごく普通の光景だった。市電が初めて引かれたのが明治36年、というから今から116年も昔のこと。花園橋がその起点に選ばれたのは当然のことだ。当時、この停留所の左右には、東側に松島新地、西側に西の心斎橋といわれた大商店街があった。築港から花園橋間(大阪港-九条新道)に最初の市電が引かれたのはごく当たり前のことだったのである。それを記念しての石碑だが、少しささやかすぎるように感じるのは私だけだろうか。もう少し立派にして欲しかった。.......1968年(昭和43年)同区間の市電は廃止された。
ポツンと立っているので見逃してしまいそう❗
歴史を感じます。
全く知らなかった。
平成元年に建てられました。
みなと通りと九条商店街の角にあります。市電の発祥がここからだとは思ってもいませんでした。大阪市電の創業は、明治36年(1903)9月のことである。ここ花園橋西詰から築港埠頭まで約5kmに運行された。総車両5、そのうち1両は2階建て電車で、夏は納涼、魚釣り電車でにぎわった。その後市民の足として発展を遂げ、最盛期には路線総延長約116km(昭和20年)、年間延乗客数約5億 2,200万人(昭和18年)であった。しかし都市交通事清から、昭和44年にはすべて撤去され、66年に及ぶ歴史を閉じた。
みなと通りと九条商店街の角にあります。市電の発祥がここからだとは思ってもいませんでした。大阪市電の創業は、明治36年(1903)9月のことである。ここ花園橋西詰から築港埠頭まで約5kmに運行された。総車両5、そのうち1両は2階建て電車で、夏は納涼、魚釣り電車でにぎわった。その後市民の足として発展を遂げ、最盛期には路線総延長約116km(昭和20年)、年間延乗客数約5億 2,200万人(昭和18年)であった。しかし都市交通事清から、昭和44年にはすべて撤去され、66年に及ぶ歴史を閉じた。
名前 |
大阪市電創業の地碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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大阪市電創業の地明治三十六年九月に開業した大阪市電の第一期線築港線は西区九篠町(花園橋西詰)から築港埠頭までの約五キロの間でこのあたりに花園橋停留場があった。