鎌倉時代を感じる土屋城址。
土屋城跡の特徴
土屋城跡は大乗院一帯に位置し、土屋氏の館跡です。
鎌倉幕府草創期から続いた歴史ある城跡でもあります。
土屋氏一族墓所五輪塔への案内が案内板次第で工夫を求められます。
全体像が掴める看板があれば良いのですが…。
先ず土屋城址のこの案内板を見付けないと土屋氏一族墓所五輪塔には辿り着けないのでわざわざ別項目になっているので大体の事は墓所の方へ書きましたが鎌倉の前衛、この辺の米収穫が重要だったのかで大抵の開発領主は坂東平氏まあそういう知識教養が実生活や増収に少しでも繋がるといいのですが…
中世を代表する武士である土屋氏の居館跡とされる。土屋氏は中村宗平の子である宗遠が当地を領したことに始まり、室町時代に当地を追われるまで領主として君臨した。居館跡には当時を偲ぶものは残されていないが、近辺の地名に庶子分(庶子に割り当てられた領地を表す)や寺分(寺<=大乗院と推測される>に割り当てられた領地を表す)が残されており、中世の偲ぶことができる。
とても良き城址です。平安時代末期からこの地を治めていた土屋様の舘跡、1416、上杉禅秀の乱で50余名一族郎党全員討ち死に、その後土屋一族は他方に散って行った。現在は地元の有志により、墓地が大切に保存、供養されています。土屋地区にこんな武人が生きていた事を地元の子供達に伝え残してほしい。現在の天皇陛下が学生時代、学習院の教授達と吾妻鏡の授業の一環として訪れていたらしい。土屋様、源頼朝挙兵から参加、屋島、一の谷、壇ノ浦等の戦役にも従軍し戦功をたてた。
それらしきものは何もありませんが。
鎌倉幕府草創期から15世紀初頭までこの地を領した土屋一族の城跡。本丸はここより北の大乗院付近、館は南の段丘上にあったと推測されている。周辺の熊野神社や木舟神社も城の一部だったという。
名前 |
土屋城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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ここには説明板しかありませんが大乗院一帯が土屋氏の館跡だと言われてます。興味のある方は地元郷土史に詳細がありますので付近を散策してみてください。