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臨済宗方広寺派の寺院で「江戸送り地蔵」が祀られています。約250年前の江戸安永年間、台風のため徳川御三家 紀州藩の御用船が米津浜に漂着して座礁しました。米津の村人は総出で救助したのですが、積荷が紛失したことへの嫌疑が村人にかけられました。もとより村人が盗んだわけでもないため犯人はわからず、組頭六人が罪を被って自らが犯人であると名のり出て、江戸に送られた末に全員が処刑されました。村人は、無実ながら刑場の露と消えた六義人の非業の死を悼み、小さな石の地蔵を作って供養していました。しかし罪人を供養する地蔵を祀ることは許されず、仕方なく地中に埋めて隠しました。それから160年以上を経た昭和10年のこと、境内を整備していたとき竹藪から偶然掘り出された地蔵には、まさしく「江戸行」の文字と六人の戒名が刻まれていたのです。その地蔵は「江戸送り地蔵」として、手厚く地蔵堂に祀られました。恥ずかしながら、私は永年参道に祀られている六地蔵を「江戸に送られた六人を供養する地蔵」だと思い込んで拝んでいたのですが、このたび文献を調べたところ、本堂西の墓所にある白壁の地蔵堂に「江戸送り地蔵」は祀られているということがわかりました。皆様、私と同じ間違いをなさらないようお気を付けくださいね。