遠江四十九薬師の歴史旅。
二ツ御堂(薬師堂)の特徴
奥州藤原氏が建立した歴史ある二つのお堂に感動しました。
遠江四十九薬師霊場の一つとして、特別な参拝体験を提供しています。
静岡県浜松市の隠れた歴史スポットで、心静まるひと時が過ごせます。
平安時代、京で病気を患う奥州平泉の城主 藤原秀衛に会うため、秀衛の愛妾がはるばる奥州から京に向かう途中、この若林の地で秀衛の訃報に接しました。落胆した彼女は草庵を構えて秀衛の供養を続けていましたが、やがて自分の命も尽きてしまいました。この草庵ゆかりのお堂が、道の北側の阿弥陀堂如来を祀る「阿弥陀堂」ですしかし実際には秀衛の病気は癒えて故郷へ帰る道中、この地に差し掛かって愛妾の自分への思いを知り、小さなお堂を建てて彼女を手厚く供養しました。それが道の南側の薬師如来を祀る「薬師堂」です。
奥州藤原氏、藤原秀衡とその愛妾が1125年頃に建立したとされる二つのお堂。京に出向いている秀衡が病死したとの誤報を受けた愛妾が、秀衡の菩提を弔うために建てたのが向かいにある阿弥陀堂。一方、こちらの薬師堂は、その後この地を訪れた秀衡が、愛妾の建てた阿弥陀堂に感銘を受けて建てたものです。現代も二つのお堂が向かい合って残っているなんて素敵な話ですね。
名前 |
二ツ御堂(薬師堂) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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遠江四十九薬師霊場の参拝でお伺いしました。臨済宗方広寺派のお寺で観照寺(約二百メートル北側)が管理しているお堂(南堂と北堂)になります。薬師霊場第十八番札所(南堂)になります。浜松市の東若林に国道を挟んで御堂が向かい合って建っている珍しい二ツ御堂です。八百余年前の昔に奥州平泉の城主であった陸奥守藤原秀衛は所用のために京都に居たが病に倒れた、この便りを聞いた愛妾が京都に向かう途中にこの地で秀衛の死去(誤報であった)を聞き北のお堂(本尊:阿弥陀如来)を建てたというがまもなく愛妾本人も病にかかりこの地で亡くなった。一方秀衛は病気が癒えた後に故郷に帰る途中ここを通りかかり全ての事情を知ると愛妾への気持ちを込めて弔いのため南のお堂(本尊:薬師如来)を建てたという。現在の北堂は昭和三十年(1955年)の改築で阿弥陀如来・地蔵菩薩・毘沙門天が祀られている。南堂は昭和十二年(1937年)に新築されて薬師如来・不動明王・大日如来が祀られている。なお北堂の脇に松の木があり「秀衛松」と呼ばれ「秀衛の側室の亡骸を埋めた場所」に秀平衛が植えたと伝えられている。