小高い丘が見守る、歴史散策の道。
三井岡原古墳(山背大兄皇子 富郷陵墓参考地)の特徴
聖徳太子の嫡男、山背大兄皇子の歴史的な陵墓です。
法起寺から法輪寺へ行く途中に位置する小高い丘にあります。
法隆寺から県道9号線を北上した場所にある重要な史跡です。
法隆寺から県道9号線を北上し三叉路を法輪寺方面に左折すると、左側の小山がそう。永らく奈良に住んでいてこの道も何度となく通ってきたがまさかこれが山背大兄皇子の陵墓だとは気づきませんでした。標識も出ていないし、地元のアピールが足りないのではないでしょうか。北側の道路から普通の農道をお邪魔して入っていきますと、柵に囲まれた墳丘があります。道路の北側には説明板も立てられていますが、これは歩かないと気が付かないと思います。山背大兄皇子は歴史に興味のない方は知らないかもしれませんが、聖徳太子の子供だと言えばわかると思います。蘇我氏の意に沿わない太子の子孫は蘇我氏に攻め滅ぼされます。
法起寺から法輪寺へ向かう道の南にずっと見えている小高い丘。申し訳ないことに、何度目かの法隆寺詣での際、靴ずれのため腰を下ろした道端の休憩所にあった案内板で初めて知る。蘇我氏に攻められ一度は逃げるが、闘いが続けば民を苦しめる…と斑鳩寺に戻り、ついには一族とともに自害されたという悲劇の皇子は、ここで御休みになっておられる。合掌…。
法起寺から法輪寺へ向かう道の南にずっと見えている小高い丘。申し訳ないことに、何度目かの法隆寺詣での際、靴ずれのため腰を下ろした道端の休憩所にあった案内板で初めて知る。蘇我氏に攻められ一度は逃げるが、闘いが続けば民を苦しめる…と斑鳩寺に戻り、ついには一族とともに自害されたという悲劇の皇子は、ここで御休みになっておられる。合掌…。
名前 |
三井岡原古墳(山背大兄皇子 富郷陵墓参考地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
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聖徳太子の嫡男であり蘇我氏によって憤死した山背大兄皇子の陵墓参考地。遠景から前方後円墳と思われるが、死亡した年代的にこのような大規模な古墳は作られなかったと思われる。