歴史の威厳、信濃の石仏。
盛泉寺の特徴
大久保利通が提案した大阪遷都案にゆかりのある寺院です。
三種の神器が奉安される唯一の場所として歴史的価値があります。
六地蔵や石仏が点在し、落ち着く雰囲気のある山寺です。
このエリアの殆どの寺院に足を運びましたが、こちらが個人的に一番の歴史と威厳を感じました。山の中にあるというのがそうさせているのかも知れません。昔の人はここから更に山奥に切り込んで行ったのだと想像します。
六地蔵がお迎えしてくれる雰囲気がいいお寺さんです 石仏が至る所にあります🙏信濃三十三観音霊場になります。
波田を見下ろす高台にあるお寺さま心安らぐ場所です。
閑で雪景色もいいですよ。
雰囲気がある寺院。
落ち着いた 山寺です。
水沢観音 信濃三十三観音霊場 二十五番札所 曹洞宗 千手観音菩薩。
上高地に向かう途中にあるお寺山です。お寺から見る風景は最高です。松本市内と山に雪があり美しい風景です。
曹洞宗 信濃三十三観音二十五番。
名前 |
盛泉寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0263-92-3128 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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明治維新 日本全国で唯一三種の神器を奉安された大阪遷都ゆかりの御寺 慶應3年(1867)徳川慶喜大政奉還 慶應4年(1868年9月に明治と改元)大久保利通が京都の公卿の影響を避けて薩摩、長州による政権を夢見た『大阪遷都案』を建議京都の公卿が異議を唱えるのは必然と考え民衆に天皇の威厳を示す名目を作り行幸という形式を繕いながら内心には公卿より薩長の政権、遷都実現の為、通常の行幸では有り得ぬ三種の神器『八咫の鏡』を伴った行幸(神器は本来宮中より不動であるが遷都目的として動かした)つまり賢所が在り天皇が居られれば其処が都という定義を繕った。慶應4年3月21日京都を出立、天皇は淀川を船で渡られたが神器はもしもの事が在っては(過去に...)成らぬと、お羽根車で陸路を取られ守口御坊 盛泉寺、本堂前にある文部省、史跡の囲い内に奉安された。正門ではお羽根車が通らぬため正門横に門を増設、其の御門を塀と塀が重なる事から塀重門と呼ばれている。江戸城が勝海舟等により無血開城となり前島密の提案による江戸遷都と成ったが正式には天皇の裁可が下されておらず京都の人々が未だに東の京から戻って来られると言い伝えられ天皇の椅子、高御座も令和の新天皇の儀式までは京都御所に在りました。