明治時代の電信局で歴史旅。
旧山口電信局舎の特徴
国指定の登録有形文化財として法律的に守られている歴史的建物です。
明治時代の建築様式が色濃く残る美しいデザインです。
萩の乱の歴史と絆のある電信局の重要な遺産です。
国指定登録有形文化財です。この建物は、明治6年(1873年)東京⇄長崎間の電信線を架設した時に建てられました。木造2階建ての洋風の外観ですが、日本の伝統的な建築技術によって建築されており「擬洋風建築」と呼ばれています。明治10年(1877年)西南戦争の時の交信記録が残っています。明治22年(1889年)山口郵便局と合併して、山口郵便電信局となり新庁舎に移転しました。長州藩士「楢﨑頼三」に養育された、会津白虎隊の生き残りの少年「飯沼貞吉」が逓信省技師となって明治7年(1874年)ごろの1年間、山口電信局に勤務していたそうです。
明治時代の建築。
萩の乱の状況などを明治政府に逐一報告した電信局。
名前 |
旧山口電信局舎 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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此処へ着くと、奥の方は改装しているのか、修理をしているのかなんかで壁が剥がされていました。大切な史跡なのに、取り壊すとか??旧宅山口電信局舎は明治6年1873年東京から長崎の間の電信線架設の際に、電信局舎として建設されました。木造2階建て、瓦葺き入母屋造り。外壁はオイルペイント塗り。軒蛇腹と胴蛇腹(のきじゃばらとどうじゃばら)で飾られています。窓は、鎧戸付きの両空き窓です。レトロな雰囲気の建物かと思えば、若干、和風な雰囲気もある建物です。