平家ゆかりの静かな古寺。
六萬寺の特徴
平家ゆかりの歴史的な地である牟礼町に位置しています。
天平時代に行基が開基した由緒ある古寺です。
小高い丘にひっそり佇む静かな雰囲気のお寺です。
平家物語のロウ人形があるというのを聞いたので行ってみましたが、廃れたお寺という感じでなにもありませんでした。
住宅街の奥にひっそりと佇む古寺です。静かで悠久の時を感じさせてくれます。駐車場もありますが(私は駅から歩きました。)途中の道路は狭いので、譲り合う余裕を持って訪ねてください。
牟礼町の歴史はここから始まったと言っても過言ではありません。何度でも足を運んでください。
小高い丘の静かなお寺です。
こじんまり住宅地の中にあるお庭的なお寺です!御朱印も書いてもらえるようです!
昔はよかったと思うよ小さい子の遊び場だったし、6時に鐘をつきにいくとお菓子を貰えてた住職が代わってからはそういうのやらなくなっちゃったけどね。
平家ゆかりのお寺ですね。
親切丁寧に仏について説明してもらえた。
この寺は天平時代の聖武天皇の勅命で行基が開基したと言われている。かつては讃岐の寺では古寺の筆頭各として有名であった。 その中でも、明治時代まで天皇が京都から行宮所を遷したのはこの六萬寺が初めてである。安徳天皇が源平合戦でこの地区に避難して2,3年滞在していたのである。その後、源氏に終われ、亡くなつたのは有名である。この牟礼町にはその流れでいろいろと,その関連した名の伝説地が多い。この寺の回りでもいろいろある。寺の東側には池があり、その上には玉の井戸と言って出水が湧いて、昭和20年まではずっと湧いていたと言うことである。そこも史跡の看板が今も立やてられている。他にも宮池と言う池もあり、数えられないぐらいあります。その外に六萬寺は戦国時代には長曽我部元親の陣屋にもなっていたのである。ここを拠点に牟礼の田井城と八栗城を攻撃したのである。その歴史跡もいろいろある。土佐兵の墓も2ヶ所に残っている。ただ、惜しい事に六萬寺は土佐兵に焼き討ちにあって、文化財は全て無くなってしまったのです。焼きうちした兵は元親によってかつてにしたということで処形されたそうです。2名の兵の墓は牟礼町のJR 牟礼八栗新道駅の近くに今も史跡としてあります。六萬寺はその後、松平藩によって再建されたのです。この寺はこの地区の中心であって、かつては支寺は42寺もあったそうです。その外にこの寺の西側に愛宕神社があり、ここで1000年以上続く子供相撲の奉納の儀式があります。
名前 |
六萬寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
087-845-7233 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
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平家ゆかりの地です。道が細く駐車場も小さいので、車で行かれる方は注意が必要です。御朱印は拝殿の前の引き出しに用意された、書き置きのものをいただきました。源平合戦ゆかりの地巡りには欠かせないスポットです。