忠義の心、佐藤継信の伝説。
佐藤継信の墓の特徴
佐藤継信が義経の命を守るため、戦死した場所です。
史跡は源平屋島合戦の歴史的背景を感じられます。
忠義な伝説の人物を偲ぶために建てられた場所です。
佐藤継信は寿永4年(1185年)2月の源平屋島合戦のとき、平家の武将能登守教経の強弓により大将義経の命危ういとみて、義経の矢面に立ち身代わりとなって討死しました。この墓は、寛永20年(1643年)に、初代高松藩主松平頼重公が、屋島寺へ続くこの遍路道の傍に建立したものだそうです。
源義経の家臣。
1643年に松平頼重公讃岐高松藩にこられて直ぐに佐藤継信の事を知り、忠義な伝説の人物の遺徳を偲んで,ここに建てられたのです。
名前 |
佐藤継信の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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義経四天王、佐藤兄弟兄、屋島の戦いにて義経の身代わりになって戦死。遍路道の脇にある。八栗駅南にも墓がある。