1727年の手水鉢、階段の先の森へ。
雷公神社の特徴
社殿前には1727年の手水鉢があり、歴史を感じられる場所です。
小高い森の上に位置するため、アクセスには多くの階段があります。
創祀不詳の神社で、独自の神秘的な雰囲気が漂っています。
社殿前の味わい深い手水鉢に「享保十二丁未(1727)年二月」の紀年銘が刻まれていました。鳥居は山を背に西を向いていますが、社殿は向きを変え南を向いています。主祭神は鳴雷神(なるいかづちのかみ)とのこと。
たくさんの階段があり、その小高い森の上にある。熊出没注意の看板がある。
| 名前 |
雷公神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
創祀不詳。元禄十六年九月再興。古来村社と称す。美濃國神名帳従五位下火雷明神茂毛久禰日不破郡大滝村雷神社雷除霊験あり。里伝曰く鳴神神社とす。山口登家年代諸用録に依り櫻神社の記録を付記す。御所御付書付。天安元年惟高親王、王城去江州君ヶ畑に御幸成らせ給ふ。付添給ふ雲客所々に散在成らせます。其の内七人の輩美濃國池田郡の奥西谷山に住す役木地職を成す惟高親王第二の姫宮不破郡に御幸成て瀧の元にたたずみ給ふ。其の地を大瀧と名付、瀧の本に不動明王を立給ふ家来三人瀧の本の主たる故右姫宮を尊敬し奉り、黒木にて家作を作ろひ境内に櫻を植え櫻御所と名付け、姫宮を安四主し奉る。宮仕の共ら西谷山居住七人の同郷雲客等相勤子孫に至る迄我ら三人家木より右御所造作この地に居住の者へ申語らひ粗略有間敷事後年の為右三人左の通り相認め罷候者也。貞観七年二月十六日政久花判、豊者花判、利勝花判。